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青木2000安打−偉業に喜びの声
本紙掲載日:2017-06-12
3面

春の九州大会県予選決勝でプレーする日向高時代の青木選手(平成11年4月7日、本社撮影)

鮮やかな三遊間安打で達成

◆恩師の森さん「あれが極めてきた打撃」

 三遊間を鮮やかに破った日米通算2000本目のクリーンヒット。「あれが青木が極めてきた打撃」−−。

 日向高時代に監督として指導した森純雄さん(59、現延岡星雲高監督)は、感慨深くニュース映像を見入ったという。日向・宮崎が生んだスーパースターの偉業に同級生らゆかりの人たちも、もろ手を挙げて喜んだ。

 3番投手として春の九州大会県予選優勝など活躍した高校時代の青木選手。森さんによると、「瞬発力や身体能力はだれもが認めるが、体が大きいわけではなく、早稲田でレギュラーまでは想像していなかった。高校球児らしい元気さや一生懸命さという点でももっと優れた選手はいた」と振り返る。

 だが、甲子園のスターも集まる早稲田大に進学。「一流の中に置かれて、めらめらと燃やしていた内なる闘志が具現化。野手に専念し、自分の長所を生かす術を極めていった」

 高校時代は右中間へライナーで二塁打、三塁打という打撃が多かった。だが、大学では俊足を生かし、逆方向へゴロで安打という打撃を磨き続けたという。

 それ以降の活躍はだれもが知るところ。森さんは「最大の長所は考えて自分の方向性を決める状況判断。そして、納得するまで努力し、継続する力。大学、日本のプロ野球、さらに大リーグでも活躍するように、アグレッシブに順応する力もすごい」と語る。

 現在も県北の高校球児を見守る森さん。「今の高校生たちも、これから大学に進み、そこで4年間頑張れば、可能性はある」と後輩たちが、青木選手の背中を追うことを期待した。

◆一人の人間として尊敬−日向高時代のチームメート

 日向高で青木選手の後の4番を打ったのは、男子ソフトボールの元日本代表松岡真央さん(36、旭化成)。「偉業。達成するためには、すごい努力と、故障や手術の苦しみを乗り越えた。同級生だが、一人の人間として尊敬するという思いが強い」

 平成25年まで日本代表の4番や主将を務め、現在も旭化成ソフト部の選手兼コーチとしてプレーする松岡さん。だからこそ、「海外の大リーグで勝負し、結果を残していることは誇り」だとそのすごさをかみしめる。

 「今の願いは長く第一線で選手生活を送ってほしい。それが、一緒にプレーした友として応援する自分たちの、そして、宮崎の子供たちの力になる」とエールを送った。

 同じくチームメートだった門川町在住の同級生、黒木大輔さんは「ある日突然青木の右腕が2倍くらいに腫れ『手術をせんと治らん』と話をした。ところが、病院に行って受診したら毛虫に刺されていただけだった。あの時、手術していたら今の青木はおらんかった。高校時代はセンスと運動神経でプレーしていたが、大学とプロでは努力して結果を出してきた。これからもコツコツ1試合を全力でプレーしてほしい」と思い出を交えて祝福。

 同じく門川在住で当時3塁を守った同級生の岩佐寿一さんは「おめでとうございます。ますますのご活躍を期待しています。頑張ってください」。神奈川県在住で青木選手とバッテリーを組んだ同級生の田中健太郎さんは、「学生時代、インドから帰ってきたときに、たまたま神宮球場で早稲田大の試合を見たときから、大きな舞台に挑戦し続ける背中に勇気づけられている。あの時、試合後で疲れているのに、スポーツドリンクをおごってくれて、ありがとうございました」。

 1年後輩で宮崎市に住む尾前信明さんは「ある大会で負けたことがきっかけで、練習が終わったあと、学校近くの神社の階段で一緒に走り込みをしていたことを覚えています。青木さんの活躍には勇気をもらっています。これからも体に気をつけて頑張ってください」。

◆まだまだ通過点、さらに上を−地元日向市の関係者お祝いとエール

 青木選手の大台到達を心待ちにしていた地元日向市の関係者は、節目を自分のことのように喜ぶ一方、「まだまだ通過点。さらに上を目指してほしい」とエールを送っている。

 宮崎カーフェリーの黒木政典社長(70)=宮崎市=は、青木選手の父・人志さん(71)と前身の日本カーフェリー時代の同僚。青木選手が子どもの時から活躍を応援しており、選手後援会の副会長を務めている。

 12日は試合をライブで見守り、四回に適時二塁打を放ち残り1本としたところで人志さんに電話。「次の打席で打てるといいね」と話し、その瞬間を待っていた。

 青木選手は次の打席で左前安打。「うれしかった。小さい時から前向きに、地味だけど努力するタイプだった。これからさらに上を目指してほしい。日向の、宮崎の子どもたちにやればできるということを示してくれた」と喜んだ。

 財光寺の二見順雄さん(77)は日知屋小学校時代の恩師。2年生の時の担任だったという。「青木君は当時から野球選手になりたいと言っていました。運動会では対団リレーの選手でしたし、掛け算九九もすぐに覚えて、とても素直な子どもでした」と振り返る。「きっと通過点でしょうから、力の続く限りプロとして第一線で頑張ってほしい」と語る。