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当時の被害、生々しく

本紙掲載日:2018-08-31
3面
父が残したアルバムを手にする三宅千春さん
浅草寺の仲見世通り(三宅昌蔵さんの写真から)
浅草の12階建て凌雲閣。8階から上が崩れ落ちた(三宅昌蔵さんの写真から)

関東大震災の写真

◆延岡市の三宅さん−父親が撮影か

 大正12(1923)年9月1日午前11時58分ごろ、マグニチュード7・9(推定)の巨大地震が首都圏を襲った「関東大震災」。その死者は約10万5千人と言われ、30万棟近い家屋が全壊、全焼、流出、ライフラインも甚大な被害が出た。この大震災の被害を物語る写真が、延岡市幸町の三宅千春さん(71)の手元に残されている。

 写真を残したのは、千春さんの父で昭和37年に63歳で亡くなった三宅昌蔵さん。大正12年当時は24歳前後だが、昌蔵さんが撮影した写真かどうかは不明。しかし、アルバム代わりにしたA5サイズのノートにモノクロやセピア色の写真15枚が貼られ、中には「仲見世通り」などの説明が加えられている。

 千春さんは「父は機械いじりが得意で新しいものが好きだった。震災のときにも当時珍しかったカメラを持って行ったのではないでしょうか」と推察する。

 昌蔵さんは震災当時、大阪で働いており、関東で起きた地震は大阪でも揺れを感じるほどだったという。魚屋を経営し車を持っていたこともあり、首都圏での被害を聞くと、災害復旧の応援で東京入りした。

 震災から間もないこともあり、写真は生々しい。建物が崩れてしまった浅草寺の仲見世通りや、当時、高さ52メートルを誇った12階建てのビル「凌雲閣(りょううんかく)」は8階部分より上が崩れている様子。さらに、川に横たわる人が写り込んだ写真などがあった。

 昌蔵さんはその後、各地を転々として、昭和10年に妻や子どもたちと延岡に移ってきた。当初は土々呂に住んでいたが、ほどなくして幸町に居を構えた。この写真も当初はアルバムに収めていたが、次第に劣化。1枚1枚を切り離し、千春さんの兄がノートに貼り直したという。

 ノートは、きょうだい8人の手を転々として、末っ子の千春さんの元へ。表紙には「関東大震災記念アルバム」、1ページ目に「貴重なアルバムですから痛めぬ様に見て下さい」とのメッセージが記されている。

 千春さんは「兄たちから大切に持っておくように言われてきましたが、今は私一人。詳しい話が残っておらず、写真についても分からないことも多いですが、貴重なものだと思います。何かの役に立てば」とアルバムを夕刊デイリー新聞社に寄贈した。

◆関東大震災

 内閣府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」によると、大正12年9月1日正午2分前に発生し、マグニチュード7・9と推定される地震。近代化した首都圏を襲い、南関東から東海地域に及ぶ地域に広範な被害が発生した。死者10万5385人、全壊・全焼・流出した家屋は29万3387棟。電気、水道、道路などライフラインにも甚大な被害が発生した。昼食時に起こったこともあり、同時多発的に火災が発生し、おりからの強風でたちまち延焼した。東京湾岸部の干拓地や埋め立て地などでは地盤の液状化も発生した。

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