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平成発…あの話題はいま−車いす登山

本紙掲載日:2019-04-25
7面

平成を代表する一大ボランティア活動

 県内最高峰の頂に車いすで登る―実現不可能にも思えるプロジェクトが、平成初期から半ばまで祖母山(標高1756メートル)で行われていた。「こんな青空の日に山に登ったらさぞかし気持ちがいいだろうね」。体の不自由な人の何気ない一言から始まった「車いす登山」は、平成の時代を代表する一大ボランティア活動でもあった。当時の関係者の声と共に振り返った。

 発起人は、子どもたちの自然体験活動などを行う北川流域ネット代表の矢野純一さん(69)=延岡市出北=。市ボランティア協会副会長を務めていた頃、車いすの障害者が抱く見果てぬ夢を知り、「力になりたい」と思ったのがきっかけだった。

 当初は行縢山(標高830メートル)に登る案もあったが、「登山道は岩が多く、転倒の危険も大きい。祖母山は健常者でも大変な道のりだが、せっかくなら県内最高峰を目指そうと思った」。

 所属するボーイスカウトのメンバー、登山愛好家、市内の各種ボランティア団体などに計画を伝え、賛同が得られた仲間と一緒に登山道を広げたり、地盤の悪い場所に砂利を敷くなどの準備を進めた。

 最も大変だったのが車いすの改良。市販品は強度が足りないため、ボランティアが運んだり、引っ張れるようにと肘置きを鉄製のバーに交換し、一輪に改造したりした。試作品に障害者を乗せて近くの愛宕山などに登り、バーの長さ、強度、位置などの改良を重ねた。

 全ての準備が整うのに3年を費やした。

 第1回登山は平成4年4月19日に行われた。先遣隊が前日に現地入りし、登山道の最終整備や仮設トイレの設営に携わった。当日は高千穂町の北谷登山口から山頂を目指した。

 当時はドクターヘリが導入されておらず、緊急時は自衛隊のヘリコプターに出動してもらうしかない。要請する権限は知事にあるため、「救助が必要な事態に備え、登山当日の知事の外出先は全て把握していた」という。

 障害者とボランティアの総勢約150人が参加。障害者1人につき約30人態勢でサポートし、特製の車いすを引っ張ったり、押したりしながら山頂を目指した。

 深くえぐれた泥道に足を取られたり、岩で滑りながらも約4時間かけて全員が無事に登頂。目の前に広がる雄大な景色を眺め、木々の新緑の香りや吹き渡る風の心地よさを味わった参加者は、涙を流しながら喜びを分かち合った。

          ▽         ▽

 延岡市古城町の富山雅章さん(55)=あたご整形外科事務長=は、市社会福祉協議会に勤務していた当時、ボランティアとして準備段階から計6回の登山に参加した。「障害者の前後に分かれて補助した。約10分間隔で交代し、女性陣も荷物を持つなど手伝ってくれた」と懐かしむ。

 車いす登山は2年に1度計画された。2回目以降は盲導犬を連れた視覚障害者も参加。ボランティアも九州全域から集まり、最多で300人を超えた年もあった。

 富山さんは「毎回1人も脱落することなく全員が登頂できた。山頂では、抱き合ったり涙を流したりして喜んだ。知らない人がほとんどだったが、何年も前から知っていたような不思議な連帯感が生まれていた」と話す。

 車いすの改良に協力したのが、当時、身体障害者連合会の会長だった後藤清治さん(81)=同市山月町=。42歳で感覚障害や運動障害などの神経症状を引き起こす難病を患い、車いすでの生活を送っていた。

 計画段階から参画していたにもかかわらず、実際に登頂したのは平成16年の6回目。登山が始まった頃は体重が80キロほどあり、ボランティアの苦労を思って遠慮したという。毎回運営に加わりながらダイエットを決意。発症後に始めた車いすバスケットと食事制限で減量に成功した。

 県内最高峰から眺めた念願の景色は「そりゃもう、気持ちが良かったし忘れられない」と後藤さん。「たくさんの人が集まってくれただけでもうれしいのに、岩をよじ登ったりして力を貸してくれたボランティアには頭が上がりません」と感謝の気持ちは尽きない。

 「たくさんの人に支えられて山頂まで来ることができた。自分たちも頑張らんといかん」

 車いす登山の実行委員長を務めた矢野さんは、山頂で障害者がつぶやいたこの一言がいまだに忘れられないという。「障害者に希望を与えることができたと実感できた。元気をもらったし、続ける原動力にもなった」

 早生隆彦延岡市長(当時)からの一言も心に残る。「登山が終わった月曜日の朝、職場に『お疲れさまでした』と直接電話があった。とてもうれしかった」

 実現不可能とも思えるプロジェクトに否定的な声も多かった。第1回が無事に成功した時、「KDDI(au)から無償で借りた携帯電話を使い、『できるはずがない』と言っていた人たちに山頂から電話した」と笑う。

 登山は平成16年の第6回で終わった。希望者がいなくなったからだ。「車いすで生活する人の全員が山に登りたいわけではない。千葉県から参加した人もいたが、車いす登山はあくまでも地域活動。全国から参加者を募る必要はないと思った」と矢野さん。

          ▽         ▽

 時代は平成から令和へと変わる。もし、車いす登山の希望者がいたらどうしますか―この質問を取材に応じてくれた3人に投げ掛けてみた。

「若い人が中心となってくれるのであれば、バックアップします」(矢野さん)
「若い人の力が必要だが、老体にむち打ってでもやります」(富山さん)
「全てのノウハウを伝えることで協力したいです」(後藤さん)

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