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藤蔭会150人集う

本紙掲載日:2019-10-18
7面

延岡高等女学校の同窓会

◆「また来年」令和の御代もすこやかに

 県立延岡高等女学校の同窓会「藤蔭会」は16日、延岡市祇園町のキャトルセゾン・マツイで開かれた。「藤の友令和の御代もすこやかに」のスローガンの下、85歳から96歳まで約150人が県内外から集い、再会を喜び合った。

 藤蔭会は113年前の明治39(1906)年に立ち上げられ、翌年から実施されてきた。戦争でしばらく途絶えたが、34回生の力で再興され、今回で38回目を迎えた。

 新旧2曲の校歌を斉唱後、寺原八千代会長(91)=37回生=は「113年の歴史を持ち、今なお85歳以上が150人も集う同窓会は、日本には他にありません。これも皆さんたちの母校愛、お殿さま(同校を経営した内藤政擧公)の御遺徳によるもの」とあいさつ。同校の歩みを振り返り「ぜひ下級生の皆さんに知っておいてもらいたい」と、これまであまり口にしてこなかった政擧公の家族事情についても、分かりやすく伝えた。

 続いて、今年度卒寿(90歳)を迎える、もしくは迎えた39、40回生12人に記念品が贈られた。代表して佐藤陽子さん(90)=同市富美山町=があいさつ。「私たちは昭和17(1942)年4月に入学しましたが、太平洋戦争まっただ中だったため学徒動員で工場に行かなくてはならず、勉強したくてもできませんでした。何とか90歳を迎え、どこまで頑張れるか分かりませんが、これからもかわいらしく優しく年を重ねていきたい」と話した。

 奈須宣さん(85)=44回生、同市富美山町=による祝舞の後、山口とき子さん(93)=35回生、同市紺屋町=の音頭で乾杯。参加者はゆっくりと食事を楽しみながら、和やかに語らった。

 アトラクションでは、麦の芽俳句会に所属する41回生の小林千穂子さん(89)=同市桜小路=、黒木貞子さん(89)=同市野田町=、甲斐ミヤ子さん(89)=宮崎市=が、1人3句ずつ自作を発表。同会の中で〃ヤング〃と呼ばれている最下級生の44回生が、はつらつとレクダンスを踊った。

 また、同校伝統の「花輪体操」は友情出演の延岡高校24回生が披露。参加者は音楽に合わせ手拍子を打ち、懐かしそうにその様子を見守っていた。

 参加者のうち最高齢で96歳の出先宮子さん=同市春日町=と甲斐恵美子さん=同市北一ケ岡=は共に32回生で、幼稚園の時からの同級生。「きのうまで参加するかどうか迷っていた」という出先さんは「人間は希望を持つと生きられます。きょうは来て良かった。100歳まで頑張ろうと思いました」と笑顔。互いに手を振り「また来年も会おうね」と会場を後にした。

 同校は明治9(1876)年創設の女児教舎に始まり、同34年に私立延岡女学校、同39年に私立延岡高等女学校、昭和4(1929)年に県立となり、同23年に戦後の学制改革で県立恒富高等学校(のちの延岡高校)と県立岡富高等学校に分かれた。女児教舎時代の明治23年から県立に移管するまで延岡藩主内藤家が同校を経営した。

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