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住宅地と工場の景色溶け込む(2)

本紙掲載日:2020-09-29
7面

延岡市川原崎町、中川原町、桜園町、中の瀬町

◆企業城下町の小学校−中川原町
児童激増で旭小を設立

 旭小学校は、中川原町に旭化成レーヨン工場=現岡富地区工場=が建設されたことに伴い(1933年運転開始)、激増した児童に対応するため、岡富小学校から分離独立。同町にあった旧県立延岡商業学校(現在の延岡商業高校)の校舎を利用して、48年5月15日、「中川原旭小学校」として開校した。

 開校当時を知る卒業生によると岡富小学校から分立した際、児童が机や椅子を抱えて移動。今のようにきれいに舗装されていなかった道を、山下町を通って学校まで、徒歩で数回往復して運んだ。当時の校舎は古い平屋。窓ガラスがない所もあったという。運動場も荒れ放題。毎日児童が石拾いをし、環境整備をした。

 58年4月、校名を「旭小学校」に改称。同年9月、火災で仮校舎1棟と校舎2棟を焼失。しばらくは残った校舎を使って、午前と午後の2部制で授業が行われたという。翌年に新校舎が完成した。

 現在は、2011年8月に完成した校舎で、474人の児童が、学校生活を送っている。

◆引き継がれる文化−川原崎町
お堂で月1回の大師講

 川原崎町の女性たちによって大切に守られ続けてきた川原崎大師堂。小さな一軒家のような建物の戸を開けると、中央に弘法大師像、他に地蔵菩薩像、釈迦如来像、延命地蔵尊像など6体が一緒に祭られている。

 地元の人によると、建立時期などに関する詳しい資料は残っていないが、堂内に掲示された寄付者名簿から1947年に改築されたことが分かる。

 女性たちが集う場所として川原崎地区に根付いており、現在も同町の東組と西組でそれぞれ月に1回、大師講の集まりをしているという。

 近くに住む西組の吉田千鶴子さん(88)もその一人。19歳で嫁いできた時から大師堂は身近な存在で、しゅうとめが他界後、参加するようになった。このように一人一人が代々引き継ぎながら守ってきた。

 千鶴子さんによると昔は西組だけで十数人集まっていたが、現在は5人。それでも「集まってしゃべらんと寂しいじゃんけ」と、毎月、大師の縁日に近い旧暦の20日以前の日曜日に必ず集まる。全員で御詠歌を上げ、お弁当を食べてだんらんの時間を過ごすという。昔も今も変わらず、心のよりどころ的な存在であり、女性にとってくつろぐことができる場所でもある。

 建物横には、藤棚の下に地蔵6体が祭られている。葬式を自宅で行っていた時代には、地域の人が亡くなると「6地蔵さんにおにぎりを供えていた」という。

 毎朝、堂内と藤棚下の地蔵に茶と水を供え続けている千鶴子さんは「ちょっとでも御利益があるわと思って」と笑う。

 「川原崎土地共有」の会長である吉田量基さん(72)は幼少期、甘茶をもらいに来た記憶があるという。当時は女性2人が住み込みで守っており、その2人が甘茶やお菓子でもてなしてくれた。まだ甘い物も珍しかった時代。「ここに来るのを楽しみにしていた」。2人が他界した後は地元の人が大切に守り続けている。

 今年は新型コロナウイルスの影響で行えなかったが、現在も4月の「おだいっさん」(延岡大師祭)の時にはお接待をしている。


◆建立年不明の熊野神社−川原崎町
子どもの泊まり番があった

 昔ながらの立派な造りをした川原崎町の熊野神社。建立時期や経緯に関する資料は残っていないが、境内には3メートルを超す大きな石碑があり、戦前の1944年1月に改築されたことが分かる。「川原崎土地共有」の会長、吉田量基さん(72)は、43年ごろの台風で神殿が水につかり、建て替えられたと聞いているという。

 同神社では毎年11月23日の勤労感謝の日に大祭を開く。30年ほど前からは、祭り前に組み立て式のご神灯を立てるのが恒例。このご神灯は正月まで立てられ、大みそかから年始にかけては明かりがともされ、参拝客はお酒などの接待を受ける。

 60年ほど前までは、夏祭りを子どもが運営していた。この日だけは小学5、6年生に限って「泊まり番」が許され、子どもたちは敷布団を抱えて神社に集まり、布団を並べて寝た。祭り前には「あぶら銭」と呼ばれるお金をもらいに各家を回り、集まったお金でお菓子や果物を買ってお供えした。それをみんなで分けて食べたという。

 拭き掃除、掃き掃除など祭りの準備をするのもすべて子どもたち。「泊まるのが楽しみでわくわくしていた」というが、吉田さんが6年生の時、中学校から「教育上よくない」とやめるよう要請があり、なくなったという。

 また、同神社では毎年3月末から4月上旬ごろに、尺間神社(大分県佐伯市弥生町)が出張して伝統の「湯立て神事」が行われる。

 神職が、大釜で沸騰させた湯の中にササの束を浸し、頭上に上げて熱いしぶきを浴びる。「こちらにお願いします」の声で、参拝客に向けてもササが振られる。お湯を浴びることで邪気を払って招福を祈願する珍しい神事で、毎年大勢の人でにぎわう。

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