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原選手(延岡出身)が五輪へ

本紙掲載日:2021-06-24
1面

東京大会ハンドボール女子の主将

◆初出場−日本女子は45年ぶり

 日本ハンドボール協会は23日、東京五輪の女子代表14選手を発表し、主将の原希美選手(三重バイオレット)=延岡市出身=、デンマークの強豪オーデンセに所属する池原綾香選手らが選ばれた。開催国枠で出場する日本女子は1976年モントリオール大会以来、45年ぶりの五輪となる。

 10位と健闘した2019年世界選手権のメンバーが11人。東京都内で記者会見したキルケリー監督は「選んだ選手に満足している。経験を積んだいいチームになった」と述べた。けがで世界選手権に出られなかった原は日本協会を通じて「求められる役割を全うし、選ばれなかったメンバーの気持ちも背負って頑張る。メダルを取る」とコメントした。

 日本女子の1次リーグ初戦は7月25日のオランダ戦となる。

◆小学時代の夢大けがを乗り越え実現−父の久保さん「ほっとした」

 東京五輪の女子代表メンバー選手に選ばれた延岡市出身の原希美選手(30、三重バイオレット)はこれまで日本代表として活躍してきた。女子の五輪出場は44年ぶりで、原選手は初出場。父の原久保さん(58)は「ほっとした。うれしい。まさか本当に五輪選手になるとは」と喜んだ。

 「ハンドボールの日本代表になってメダルを取りたい」―。小学校の卒業文集に原選手が書いた将来の夢。それを実現させた。父・久保さんによると、幼少期から活発で負けず嫌いだったという。

 延岡東小で競技を始め、延岡中、宮崎学園高に進学。高校在学時には世代別の日本代表に選出された。その後は、日本体育大学に進学し、在学中に日本代表に初めて選ばれた。代表では、体を張ったプレーでレギュラーに定着し、主将としてチームを引っ張った。

 東京五輪の開催が決まり、夢だった五輪出場が現実的になったが、この6年間は度重なるけがで苦しめられた。この期間で左膝に2回、右膝に1回メスを入れた。特に忘れられない年になったのが2019年。五輪代表選手として大会を翌年に控えていた年だが、11月に全十字靱帯(じんたい)断裂の大けが。これで、本来開催予定だった20年の東京五輪は絶望的になり、一日中泣くほど落ち込んだという。

 それでも、「けが前より強くなる」と再起を誓い、懸命にリハビリに励んだ。その結果、約1年で代表合宿に参加できるまで復帰、「けが前よりいい」と関係者から褒められるほど復調した。

 夢に向け、ひたむきに努力を続けてきた成果が実り、発表の後すぐに、家族には「決定しました」とのメッセージが届いた。家族は、「おめでとう」「けがから復活できてよかった」「これからが勝負」などと返信し、エールを送ったという。父・久保さんは「関係者、スタッフなど、機会を与えてくれてありがたい。本人もかなり努力したと思う」と代表入りまでをねぎらった。

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