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団地造成に伴い発展、子ども育む伝統文化(1)

本紙掲載日:2021-06-30
6面

延岡市沖田、塩浜、石田、旭ケ丘、一ケ岡、松原、土々呂町

 延岡市南部の沖田町からJR日豊線沿いに土々呂町までを訪ねた。
一帯では、伊形花笠踊り、伊福形神社の面祭り、塩浜いのこまつり、流れ灌頂(かんじょう)など、古来の文化が数多く受け継がれている。一方、1960年代後半から一ケ岡に団地が造成されたことで、子どもの数が急増し、小学校が増設された。地元の人に大切にされてきた場所や伝統文化、学校などを紹介する。


◆7羽のシラサギの舞−県と市の無形文化財伊形花笠踊り(伊形地区)

 県と市の無形民俗文化財に登録されている「伊形花笠踊り」は、伊形地区で400年以上も前から続く伝統芸能。毎年8月15日夕刻、農村、農耕の無事を祈る地区の「龍神祭」に合わせ、踊りの発祥地とされる日枝神社(石田町)で奉納されている。

 7日7晩にわたり続いた津波が、どこからともなく現れた7羽のシラサギの舞によって収まったことが由来とされる。

 現在は住民でつくる「伊形花笠踊り保存会」が踊りを伝承し、祭りを開く。神様が宿るとされ、踊る時にかぶる花笠も、半年以上かけて手作りする。

 当日は神事の後、白装束を着てシラサギに扮(ふん)した7人の男性が全3番を踊る。

 また翌夕には、新浜町の長浜海岸で、花笠に宿った神様に感謝し、海に帰す儀式「笠流し」を行い、祭りを終える。波打ち際に砂を盛って作った祭壇に、神様用に別に作っていた花笠を飾り、祈りをささげて立ち去る。花笠はその後、波にさらわれ海に帰る。


◆たたかれて健康になる奇祭−伊福形神社「面祭り」(伊形地区)

 神楽面をかぶった男性が、サカキを手に子どもたちを追い掛ける伊福形神社(北一ケ岡)伝統の「面祭り」。子どもたちをサカキの枝でたたき、健やかな成長を祈る。五穀豊穣(ほうじょう)や地域の安泰などを併せて祈願し、毎年11月3日、伊形地区一帯で行われる。

 地元の人によると、起源は約150年前。火災で焼けた神社の再建を祝い、神楽の奉納があった際、面を着けた若者が半狂乱となって子どもをたたいて回った。すると、その頃多くの子どもが命を落とす原因となっていたはやり病が、その年から激減。そのため祭りとして根付いたとされる。

 面祭りは全国的にも珍しいという。みこしと共に、面を着けて神に扮(ふん)した消防団員らが現れると、子どもたちは「きゃー」と悲鳴を上げながら逃げ回り、にぎやかな祭りとなる。


◆わらづと打ち付け豊作祈願−塩浜いのこまつり(塩浜町)

 わらの束で地面をたたいてモグラを追い払い、五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災を願う「いのこまつり」は、県北地区では北川町のものがよく知られているが、塩浜町にも伝わる。一時途絶えたが、地域住民が伝統継承やコミュニティーの形成、子どもたちの思い出づくりにと、2000年に復活させた。毎年11月に塩浜教育集会所周辺で行っている。

 子どもたちは、はやし歌を歌いながら、わらを束ねた「わらづと」で地面をたたく。これを「いのこたたき」と言う。

 収穫祭の意味もあり、みこし、餅つき、餅まきなどでにぎわう。祭りの前には、地元の保育園児らが地域の人に教わりながら「わらづと」を作る。


◆漁業の町の生活・文化拠点−土々呂漁港(土々呂町)

 土々呂漁港は、チリメンジャコ漁やメヒカリなどを取る深海底引き網漁船の基地。また、100年以上の歴史を持つ「流れ灌頂」や地元の産業振興と活性化を目的とした「ととろ浜まつり」の会場でもある。

 土々呂町の「流れ灌頂」は大正時代、地元極楽寺の11世・柳田秀明住職が町おこしとして発案。毎年8月16日の夜、灯籠を海に浮かべ、先祖や初盆の霊を慰める。2018年には100周年を迎えた。

 「ととろ浜まつり」は、住民らでつくる実行委員会が、05年から毎年10月ごろに開催。漁船団による海上パレードや新鮮な魚介類の販売など、漁業の町ならではの催しが開かれる。


◆空海が彫ったと伝わる−伊形地蔵尊大祭(上伊形町)

 伊形地蔵尊大祭は、上伊形町の倉尾山宝蔵寺で旧暦の1月24日に開かれる。火よけや厄よけを祈願して多くの人が参拝に訪れ、境内では、檀家(だんか)が甘酒などで接待する。

 由来によると、同地蔵尊は、平安時代の弘仁6(815)年、空海が42歳の厄年に、自他の災難苦厄よけを誓願するため、村中央の大峰山に地福庵(真言宗)を建立、自ら彫った地蔵像を安置した。安土桃山時代の天正6(1578)年、豊後の大友宗麟の侵攻によってお堂は焼失したが、地蔵像だけは残ったことから、火伏せの守護として信仰されるようになった−と伝わる。安置場所は、大峰山から禿白、高松、炎尾神社跡を経て現在地に移ったという。

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