本紙掲載日:2023-01-14
(8面)

巨典の−−故郷は遠きにありて思うもの(24)

「うどん居酒屋」延岡市出身の玉置康雄さん−新形態の飲食店を開拓

◆福岡、東京、パリにも出店−会社を辞め飲食業、世界一周へ
 亡き父と延岡の味に支えられ

 小学校1年生の1学期、学級委員長を選ぶ際に誰も立候補をしませんでした。先生やみんなが困っていると思い、「だったら、自分がやります!」と手を挙げました。

 長男だったからか責任感が強い子どもだった、との自己分析。その学級委員長は将来、「うどん居酒屋」という新しい形態の飲食店の開拓者となりました。

 そして今や、福岡市内に5店舗、東京に2店舗、さらにはフランスのパリにも出店を果たしました。今回の主人公は、延岡市出身の玉置康雄さん(49)です。

 延岡西高校から西南学院大学へと進学、卒業後4年間のサラリーマンを経験した後、27歳から居酒屋で働き始めます。理由は、お店を仕切る姿に憧れたからだそうです。

 朝から深夜まで働き、調理技術から経営感覚までをしっかりと学びました。しかし、ここでアクシデントが発生します。

 自転車で転倒し骨折。玉置さんはこれを機に、貯金をはたいて世界一周の旅に出ました。以前からの夢をここでかなえることにしたのです。

 そして、8カ月間で25カ国を回る間に、大切なことに気付かされます。海外のレストランで働く現地の人たちは、日本人の若者にもとても優しく接してくれたのです。飲食業にとって、このホスピタリティ(深い思いやりのあるおもてなし)が、いかに大切かを身をもって知ったそうです。

 そういった海外体験も手伝ってか、2020年にフランス・パリのオペラ座近くにフランチャイズ出店したのが「釜喜利うどん」です。セルフ方式でお値打ちにおいしいうどんが食べられると大好評です。

 玉置さんのこだわりは、杉本商店(高千穂町)の干ししいたけを空輸して使っていること。ナバ、昆布、かつお節をぜいたくに使っただしはパリっ子を夢中にさせているようです。

 さて、玉置さんの飲食業の成功は何に支えられたのでしょうか?

 一つは、全国各地の出張先からその土地のおいしい物を買って帰り、真っ先に子どもたちに食べさせてくれた、今は亡きお父さんの存在です。

 もう一つは、玉置少年をとりこにしてきた延岡の飲食店の存在でした。
最初のお店「ニ○加屋長介(にわかやちょうすけ)」という「うどん居酒屋」を開業したのは、大好きだった「天領うどん」の影響もありました。ほかにも「ラーメンさがや」、「焼肉釜山」、おにぎりの「しぶ茶屋」を「ふるさとの四天王」と呼び、今でもリスペクトしているそうです。

 さらに来月からは、大貫町にあった飲食店「わかたけ」のドレッシングを再現したサラダも登場予定ということですから、玉置さんの故郷愛はとどまるところを知らないようです。

 県北の皆さんへのメッセージを聞くと、「福岡市という街は、大都市で刺激的でありながら、一方で人情豊かなウエルカム精神も残るところです。例え旅行という短い時間でも、福岡に触れることで延岡の良さも再確認できると思います。ぜひ、福岡にも足を運んでください」とのことでした。

 玉置さんが独立する際に、大切な思いをしたためた「開業ノート」には、「(尊敬する)大好きな人に呼ばれたら、いつでもどこでも飛んで行く。そのためにも融通できる時間と経済力を持とう」と書いてあるそうです。

 その思いを大切に、玉置さんはきょうもフットワーク良く、お客さんとの、仲間たちとの、従業員の皆さんとのコミュニケーションを楽しんでいるようです。

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