JavaScriptが無効なためE瑤竜’修動笹牲ません。動笹正せぁ燭瓩砲亙avaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。
MENU
士魂商才の人、藤田一松
◆伊能秀明さん(元明治大学博物館事務長)が講話 延岡市天神小路、亀井神社(伊藤俊郁宮司)の「天神梅まつり」が5日にあった。主祭神の菅原道真(天神)が梅を好んだことにちなむ春の催しだが、コロナ禍の影響で3年ぶり。元明治大学博物館事務長の伊能(いよく)秀明さん(69)=東京都在住=が、天神小路出身で三井呉服店(後の三越)の取締役などを務めた藤田一松氏についての講話を奉納した。同神社奉仕会(坂本光三郎会長)主催。 演題は「日本初のデパート《三越》を陰で支えたサムライ藤田一松」。藤田氏は元治元(1864)年、延岡藩士(佐藤家)の三男として出生。慶應義塾で福沢諭吉の薫陶を受け、亮天社(延岡)と慶應義塾で教師を務めた後、明治30(1897)年、三井呉服店に入店、大正14(1925)年まで取締役を務めた。 「一言で表すと、士魂商才(しこんしょうさい)の人」と伊能さん。「虚飾を捨て、侍の精神で商いの道を歩み、至誠一貫して三越の発展を裏方で支えた」 また、給与が半額になるにもかかわらず、慶應義塾教師という安定を良しとせず新しい道に飛び込んだことから「とがった人でもあった」。慶應義塾大学のペン2本が交差した図柄の校章は藤田氏が考案したと言われており、その由来についての本人談も紹介した。 藤田氏は昭和8(1933)年、当時の地域紙「延岡新聞」に「思ひ出(い)づるまま」と題した回想録(全63回)を寄稿した。 江戸最末期の延岡城下や藩主の思い出などが書かれており、郷土史として、慶應義塾の学校史として、三越の社史としても貴重な内容。同新聞社が単行本化し、平成3(1991)年には木谷俊二氏により復刻本が出版されたが、ともに希少本となっていることから、現在、伊能さんを中心に延岡の市民グループが再復刻本の出版を準備中。 伊能さんは「藤田氏の経歴はまだ不明な点が多いので、生家の佐藤家、養子となった藤田家のことなど、知っている方がいれば教えていただきたい」と呼び掛けた。 講話では、声優の池田知聡さん(宮崎市出身)による朗読もあった。「思ひ出づるまま」から「昔城下の正月」「家来の自慢話」などの項目を、書かれた当時、数えで古希(70歳)だった藤田氏に成り切って読み、来場者の脳裏に昔の延岡の情景を浮かび上がらせた。 まつりには、地域の人、延岡高等女学校の卒業生、文化関係者ら約50人が参加。華道家元池坊興梠孝代社中による生け花8点も飾られた。 同神社は慶長19(1614)年、時の延岡城主有馬直純が延岡城内守護神として菅原道真を勧請して創建。内藤時代に、伏見城の戦い(慶長5〈1600〉年)で討ち死にした内藤家長・元長親子を合祀(ごうし)した。
印刷には対応しておりません。当サイトは、閲覧のみになります。
写真の販売:https://stg-yukan-daily.epitas.com/provider/ 写真販売所ガイド:https://yukan-daily.co.jp/photo-guide/page/
士魂商才の人、藤田一松
◆伊能秀明さん(元明治大学博物館事務長)が講話
延岡市天神小路、亀井神社(伊藤俊郁宮司)の「天神梅まつり」が5日にあった。主祭神の菅原道真(天神)が梅を好んだことにちなむ春の催しだが、コロナ禍の影響で3年ぶり。元明治大学博物館事務長の伊能(いよく)秀明さん(69)=東京都在住=が、天神小路出身で三井呉服店(後の三越)の取締役などを務めた藤田一松氏についての講話を奉納した。同神社奉仕会(坂本光三郎会長)主催。
演題は「日本初のデパート《三越》を陰で支えたサムライ藤田一松」。藤田氏は元治元(1864)年、延岡藩士(佐藤家)の三男として出生。慶應義塾で福沢諭吉の薫陶を受け、亮天社(延岡)と慶應義塾で教師を務めた後、明治30(1897)年、三井呉服店に入店、大正14(1925)年まで取締役を務めた。
「一言で表すと、士魂商才(しこんしょうさい)の人」と伊能さん。「虚飾を捨て、侍の精神で商いの道を歩み、至誠一貫して三越の発展を裏方で支えた」
また、給与が半額になるにもかかわらず、慶應義塾教師という安定を良しとせず新しい道に飛び込んだことから「とがった人でもあった」。慶應義塾大学のペン2本が交差した図柄の校章は藤田氏が考案したと言われており、その由来についての本人談も紹介した。
藤田氏は昭和8(1933)年、当時の地域紙「延岡新聞」に「思ひ出(い)づるまま」と題した回想録(全63回)を寄稿した。
江戸最末期の延岡城下や藩主の思い出などが書かれており、郷土史として、慶應義塾の学校史として、三越の社史としても貴重な内容。同新聞社が単行本化し、平成3(1991)年には木谷俊二氏により復刻本が出版されたが、ともに希少本となっていることから、現在、伊能さんを中心に延岡の市民グループが再復刻本の出版を準備中。
伊能さんは「藤田氏の経歴はまだ不明な点が多いので、生家の佐藤家、養子となった藤田家のことなど、知っている方がいれば教えていただきたい」と呼び掛けた。
講話では、声優の池田知聡さん(宮崎市出身)による朗読もあった。「思ひ出づるまま」から「昔城下の正月」「家来の自慢話」などの項目を、書かれた当時、数えで古希(70歳)だった藤田氏に成り切って読み、来場者の脳裏に昔の延岡の情景を浮かび上がらせた。
まつりには、地域の人、延岡高等女学校の卒業生、文化関係者ら約50人が参加。華道家元池坊興梠孝代社中による生け花8点も飾られた。
同神社は慶長19(1614)年、時の延岡城主有馬直純が延岡城内守護神として菅原道真を勧請して創建。内藤時代に、伏見城の戦い(慶長5〈1600〉年)で討ち死にした内藤家長・元長親子を合祀(ごうし)した。