本紙掲載日:2023-04-07
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「千人殺しの石垣」は本当か

大学1年の高司さんが考察

◆「隅石」外すと−−右側の階段側に崩壊

 延岡史談会(甲斐典明会長)の三部会研究発表会はこのほど、延岡市本小路の市社会教育センターであり、延岡市出身でお茶の水女子大学1年の高司萌恵さん(19)を特別講師に招いて、延岡城跡の「千人殺しの石垣」について学んだ。

 延岡城二の丸広場にある石垣は高さ約19メートル、のり面の長さが約22メートル。城攻めを受けた際の防衛策として「角の隅石」を外すことで崩壊させる戦略があったと考えられている。隅角部は1935(昭和10)年にコンクリート補強されており、現在、隅石を確認することはできない。

 高司さんは宮崎西高校時代の個人研究で、石垣の戦略を物理的な視点から推測。右側へと湾曲している石垣の稜線(りょうせん)部分に注目したほか、力学モデルを構築して隅石にかかる力を計算するなどして、人力で石を動かせるかどうかを確認した。その成果発表はこれまで数々のコンクールで入賞するなど高い評価を受けている。

 高司さんは研究の末、「丸太による撃力を利用するなどすれば、人力で隅石を外すことは可能」と結論づけた。また粘土モデルを使った実験で、湾曲が石垣の崩壊を右側に促す様子を確認したことから、「天守台へとつながる(三ノ曲輪側の)幅広い階段を石垣でふさぎ、敵を逆側の細道に誘導することで防衛戦を優位にしようとしたのではないか」と考察した。

 発表後には質疑応答もあり、会員からは「石垣はどの程度崩れるか」「隅石を外す人たちは逃げられるか(巻き込まれないか)」といった質問に対し、高司さんは「推察だが稜線部を中心に崩れ、奥下部分は残るのではと思う」「隅石を外すのはおそらく決死の行為。もしかしたら犠牲を避ける方法があったかもしれない」と答え、「まだ研究、考察の余地がある」とした。

 甲斐会長は「歴史・文化の面でも若い力が育っていると感じた。歴史に対するさまざまな側面からのアプローチというものを学ばせてもらった」と話した。

 会場では、同会史跡部、古文書部、民俗部による発表もあり、出席者は延岡藩領を中心とする地域の歴史や文化などについて理解を深めていた。

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