本紙掲載日:2023-05-23
(1面)

分県運動に尽力−川越進翁をたたえる

献花する河野知事(22日、県庁)

県庁の胸像前−知事、県議らが発展誓う

◆置県140年

 初代県会(県議会)議長を務め、鹿児島県からの分県運動に尽力した川越進翁の功績をたたえる献花式は22日、県庁庭園の胸像前であり、河野知事や議員、元議員で組織する前県議団春秋会会員らが川越翁を慰霊し、本県の発展を誓った。

 最初の宮崎県は、1873(明治6)年1月に美々津県、城県が廃止されて誕生した。しかし、その3年後の76(同9)年8月に鹿児島県に併合されたことにより反発の声が高まり、川越翁が中心となって分県運動を展開した。

 分県議案は川越翁が鹿児島県会議長に就いた83(明治16)年、36歳の時に可決され、同5月9日に宮崎県が再配置された。7月1日には県庁が開庁。初代県会議長を務めた。

 式では参列者が胸像に白菊を献花。河野知事は今年が置県140年の節目であることに触れ「先人の情熱を受け止めて困難を克服し、未来を切り開くことを誓う」とあいさつした。川越翁の孫で宮崎市の近藤妙さんは「宮崎のますますの発展を祈っている」と話した。

 この後、出席者は宮崎市にある平和台公園の物故県議会議員慰霊碑前に移動。神事を執り行い、昨年亡くなった4人を含め合祀(ごうし)された537人に感謝と敬意を表した。

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