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揺るぎない、ふるさと愛を胸に−延岡市出身のパティシエ・本田拓三さん
◆一度は挫折も諦め切れず製菓の道−ベルギー・フランスで磨いた 大切にしている「製作意欲」= 1975年にスタートした「料理天国」というTBSの料理バラエティーがありました。女優の芳村真理さん、食べ役で元力士の龍虎さんらが出演した人気番組でした。 そのブラウン管に映る料理を、かじりつくように見ていた小学生が延岡市にいました。「トリュフて何じゃろかい?」 料理への憧れを持った少年は岡富小から岡富中、そして延岡学園調理科へと進みます。その後、佐賀短期大学の食物栄養学科で学んでいた時に目にした、ケーキ屋さんのアルバイト募集の張り紙が、パティシエ(菓子職人)本田拓三さんの誕生を決定付けたのです。 職人さんの手さばきを間近で見て大きな衝撃を受けた本田さんは、自然と製菓の道を志します。しかし、楽しく働いていたアルバイトの時とは違い、プロの道に進むと、ひたすらに厳しい毎日が待ち受けていました。3カ月で挫折し、逃げるように退職したそうです。「社会人としての心構えもできていなかった」と当時を振り返ります。 それから3年後、パティシエの夢を諦め切れずに新たなスタートを切ります。今度は基礎をしっかりと学びました。そして、ベルギーへと旅立ちます。決して潤沢でない資金と、あいさつ程度しかしゃべることができないベルギーの公用語・フランス語を伴って。 案の定、コミュニケーションが取れず孤独な日々が続きました。しかし、ラッキーなことにこの年、2002年にサッカー日韓ワールドカップが開かれました。しかも日本代表の初戦の相手がベルギー。ベルギーの人たちは興味を持って日本代表のことを質問してきました。 本田さんはこれを機に、フランス語が少しずつ上達し、コミュニケーション問題は大きく前進したのでした。ちなみに、日本対ベルギーの試合は引き分け。両国の健闘をたたえ合うことで生まれた友好ムードが、本田さんにとって、良い職場環境をつくってくれたのでした。 その後、フランスに渡り4店舗で腕を磨いた本田さんは、08年にスイーツの激戦区・福岡市中央区白金に店を構えます。 お店の名は、「PatisserieGlacierA7(パティスリー・グラシエ・アセット)」。フランス中部のリヨンから南部のマルセイユまでつながる高速道7号線から名前を付けました。 店内には、美しいフォルムのケーキにアイスクリーム、焼き菓子が並びます。パティシエとして大切にしていることは「製作意欲」。他の店舗やテレビ、ショーウインドーのディスプレーなどさまざまな物からお菓子へのヒントを得られるよう、常にアンテナを張り続ける毎日だそうです。 そんな多忙な中、延岡に帰省した際に聞こえてきた「城山の鐘」にハッとさせられたことがあったそうです。鐘の音は、懐かしさと感動を交えて本田さんの心に染み入りました。 かつて本田さんは、宮崎県出身ということにコンプレックスを感じていたそうです。「延岡は田舎で、何もないし……」。しかし、フランスの田舎に行ってみると、そこは魅力にあふれていたそうです。花の都パリよりも、地方の町にこそ素晴らしい個性が、宝物がたくさんあったのです。 「延岡も外から見たら誇れる物がたくさんある!これまで自分が気が付かなかっただけなんだ。これからは、胸を張って宮崎県出身と言おう!」。本田さんのふるさと愛は、揺るぎないものとなりました。 最後に、意地悪な質問をしました。「ふるさと延岡をお菓子に例えると何ですか?」。 本田さんは、まるで質問を予想していたかのようにすぐに口を開きました。「焼き菓子ですね。飾り気なく味わい深い、そして、また食べたくなるおいしさ」と。この答えを聞いた瞬間、福岡の街に城山の鐘が響いた、そんな気がしました。 ◆福岡で頑張る県北出身者、情報提供を さて、読者の皆さまのお知り合いで、福岡で頑張っている県北出身の方はいらっしゃいませんか? このコラムでは、ふるさとへの思いを胸に福岡で頑張る方々を、今後もたくさん紹介させていただく所存です。情報提供をよろしくお願いします。
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揺るぎない、ふるさと愛を胸に−延岡市出身のパティシエ・本田拓三さん
◆一度は挫折も諦め切れず製菓の道−ベルギー・フランスで磨いた
大切にしている「製作意欲」=
1975年にスタートした「料理天国」というTBSの料理バラエティーがありました。女優の芳村真理さん、食べ役で元力士の龍虎さんらが出演した人気番組でした。
そのブラウン管に映る料理を、かじりつくように見ていた小学生が延岡市にいました。「トリュフて何じゃろかい?」
料理への憧れを持った少年は岡富小から岡富中、そして延岡学園調理科へと進みます。その後、佐賀短期大学の食物栄養学科で学んでいた時に目にした、ケーキ屋さんのアルバイト募集の張り紙が、パティシエ(菓子職人)本田拓三さんの誕生を決定付けたのです。
職人さんの手さばきを間近で見て大きな衝撃を受けた本田さんは、自然と製菓の道を志します。しかし、楽しく働いていたアルバイトの時とは違い、プロの道に進むと、ひたすらに厳しい毎日が待ち受けていました。3カ月で挫折し、逃げるように退職したそうです。「社会人としての心構えもできていなかった」と当時を振り返ります。
それから3年後、パティシエの夢を諦め切れずに新たなスタートを切ります。今度は基礎をしっかりと学びました。そして、ベルギーへと旅立ちます。決して潤沢でない資金と、あいさつ程度しかしゃべることができないベルギーの公用語・フランス語を伴って。
案の定、コミュニケーションが取れず孤独な日々が続きました。しかし、ラッキーなことにこの年、2002年にサッカー日韓ワールドカップが開かれました。しかも日本代表の初戦の相手がベルギー。ベルギーの人たちは興味を持って日本代表のことを質問してきました。
本田さんはこれを機に、フランス語が少しずつ上達し、コミュニケーション問題は大きく前進したのでした。ちなみに、日本対ベルギーの試合は引き分け。両国の健闘をたたえ合うことで生まれた友好ムードが、本田さんにとって、良い職場環境をつくってくれたのでした。
その後、フランスに渡り4店舗で腕を磨いた本田さんは、08年にスイーツの激戦区・福岡市中央区白金に店を構えます。
お店の名は、「PatisserieGlacierA7(パティスリー・グラシエ・アセット)」。フランス中部のリヨンから南部のマルセイユまでつながる高速道7号線から名前を付けました。
店内には、美しいフォルムのケーキにアイスクリーム、焼き菓子が並びます。パティシエとして大切にしていることは「製作意欲」。他の店舗やテレビ、ショーウインドーのディスプレーなどさまざまな物からお菓子へのヒントを得られるよう、常にアンテナを張り続ける毎日だそうです。
そんな多忙な中、延岡に帰省した際に聞こえてきた「城山の鐘」にハッとさせられたことがあったそうです。鐘の音は、懐かしさと感動を交えて本田さんの心に染み入りました。
かつて本田さんは、宮崎県出身ということにコンプレックスを感じていたそうです。「延岡は田舎で、何もないし……」。しかし、フランスの田舎に行ってみると、そこは魅力にあふれていたそうです。花の都パリよりも、地方の町にこそ素晴らしい個性が、宝物がたくさんあったのです。
「延岡も外から見たら誇れる物がたくさんある!これまで自分が気が付かなかっただけなんだ。これからは、胸を張って宮崎県出身と言おう!」。本田さんのふるさと愛は、揺るぎないものとなりました。
最後に、意地悪な質問をしました。「ふるさと延岡をお菓子に例えると何ですか?」。
本田さんは、まるで質問を予想していたかのようにすぐに口を開きました。「焼き菓子ですね。飾り気なく味わい深い、そして、また食べたくなるおいしさ」と。この答えを聞いた瞬間、福岡の街に城山の鐘が響いた、そんな気がしました。
◆福岡で頑張る県北出身者、情報提供を
さて、読者の皆さまのお知り合いで、福岡で頑張っている県北出身の方はいらっしゃいませんか?
このコラムでは、ふるさとへの思いを胸に福岡で頑張る方々を、今後もたくさん紹介させていただく所存です。情報提供をよろしくお願いします。