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日向で最新作上映会
9月1日に全国公開される山田洋次監督(91)の映画最新作「こんにちは、母さん」の先行上映会が今月15日、日向市の市文化交流センター大ホールで開かれた。市民でつくる山田会(和田康之代表)主催。山田監督が4年ぶりに来場し、駆け付けた市民らファン約1000人が、黄色いハンカチを手に恒例の「おかえりなさい」コールで迎えた。同市での山田監督作品の上映会は2021年の「キネマの神様」以来、今回で26回目となり、山田会の活動30年の節目に花を添えた。 作品は、永井愛さんの同名戯曲が原作。大手企業の人事部長として日々神経をすり減らし、家庭では妻との離婚問題などに頭を悩ませる息子(大泉洋)と、1人暮らしながら人情味あふれる東京下町の住民に囲まれて生き生きと暮らす母(吉永小百合)の新たな出発が、おかしくも切なく描かれる。 この日、山田監督はファンと並んで客席で鑑賞。上映後、恒例の「おかえりなさい」コールに迎えられ、出演している北山雅康さん(56)とともに舞台あいさつに立った。北山さんは「男はつらいよ」シリーズで、「くるまや」店員の三平役を演じている。 「かつて映画というのは、こうやってみんなで楽しんだなと、ここに来ると思い出させてくれる。来て良かった。胸がいっぱいです」と山田監督。 メディアが多様化する今、「どうも映画の元気がなくなってきているように感じるが、日向に来ると、まだまだ僕たちは映画への希望を失ってはいけない、そんなことをしみじみ思わせてくれる」と語った。 「こんにちは、母さん」への思いにも触れ、最後は「本当に素晴らしい観客に囲まれて幸せ。またお会いしましょう」と客席に手を上げ、舞台を後にした。 夫と鑑賞した日向市富高の黒木和子さん(82)は「この上映会をいつも楽しみにしています。客席みんなの熱気を感じ、一緒に楽しませてもらいました。吉永小百合さんの姿に、年を重ねても人と出会うこと、挑戦していくことを諦めてはいけないと改めて思いました。すてきな作品でした」と話した。 ◆映画館のない街で30年−市民有志の山田会 一作一作、応援する気持ちだけ持って 今でこそ〃当たり前〃となった山田監督作品の日向市での上映会だが、映画館のないこの小さな街でなぜ。山田監督を敬愛し、情熱を失うことなく地道に活動を重ねてきた山田会の30年を振り返る。 市民有志10人でつくる山田会。驚くことに、メンバーは発足当時から30年間変わらない。 活動のきっかけは「男はつらいよ」シリーズの45作目「男はつらいよ寅次郎の青春」(1992年公開)だった。 日南市でロケが行われたのだが、それを知った代表の和田康之さん(55)、当時25歳は思った。「なぜ日向でやってくれなかったのか」 そして馬ケ背や「美々津の街並み」など、主人公の「寅さん」こと車寅次郎が似合いそうな市内の名所を写真に収め、「ぜひ日向でロケを」と、その思いをしたためた手紙とともに、タレント名鑑に掲載されていた山田監督の住所に送った。 しかし当然ながら反応なし。ならばと次は、同じくタレント名鑑に掲載されていた電話番号に直接かけてみた。山田監督の事務所の電話番号だろうと思っていたという。 ところが、つながったのは山田監督の自宅。「映画館もない小さな街ですが…」と、同市でのロケと上映会への来場をお願いした。 和田さんは「会ったこともない若者からの突然の電話にもかかわらず、山田監督は親切に最後まで話を聞いてくれて。今思えば若気の至りです」と頭をかく。 その後、山田監督から紹介してもらった松竹の関係者へ上映会の企画書を提出。「来年(94年)1月に日向に行きます」と返事をもらい、初回の上映会(『学校』『同胞』の2作品)が決まった。 これを受け和田さんらメンバーは「映画製作のスタッフが『山田組』ならば、こちらは『山田会』に」と名前を決め、山田監督の了解も得て、93年に「山田会」を発足させた。 「1回目の上映会は、すごく勇気がいりました。当時はメンバー全員20代。自分たちの力で本当にできるのか。『赤字になったら(自分たちの)ボーナスを突っ込むしかない』と半分本気で話していました」 以来、同市での上映会は今回を含め26回を数え、2000年には「十五才学校検廚離蹈瑛驚廚蘯存修靴拭E喘罅∨榲に赤字を抱えたこともあったが、「もうやめよう」と切り出すメンバーは一人もいなかったという。「一作一作、山田監督の作品を応援する気持ちだけを持ってやってきた」と和田さんは振り返る。 メンバーの黒木康文さん(55)は「ただ正直に、一生懸命でした。われわれが目指した『映画館のない街で上映会を』を実現し続けていられることに、感謝の言葉しかありません」。 同じく、メンバーの黒木一憲さん(54)は「会場準備のため地がすりのほこりを必死で取ったこと、(市文化交流センターの)映写室に行くため山田監督とエレベーターに乗ったら閉じ込められてしまい、山田監督から『どうせ閉じ込められるなら女性が良かったな』と冗談を言われたことなど、思い出は尽きません」と振り返る。 また、この30年間で山田監督と市民の距離も近づいている。 山田監督は26回の上映会のうち、18回に来場。今回を含め「家族はつらいよ」(15年)以降の6回は、山田監督も客席に座り、市民らファンと一緒に鑑賞する形が続いている。 前回の「キネマの神様」(21年)では、コロナ禍で来場がかなわず、オンラインでの舞台あいさつとなったが、山田監督は画面越しに「日向の皆さんは僕にとって特別なんです。皆さん、他のお客さんのことなんかあまり気にせず、面白い場面では大声を出して笑う。そんな昔の映画館のような雰囲気が、僕はなんだか落ち着くんですね。と同時に、どんな反応をしてくださるのか、僕にとっては怖いお客さんでもあるわけです」と話している。 山田監督は現在91歳。メンバーの河野剛一さん(57)は「山田監督が日向に来られる限り、山田会の一員として取り組んでいきたい」と話す。
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日向で最新作上映会
9月1日に全国公開される山田洋次監督(91)の映画最新作「こんにちは、母さん」の先行上映会が今月15日、日向市の市文化交流センター大ホールで開かれた。市民でつくる山田会(和田康之代表)主催。山田監督が4年ぶりに来場し、駆け付けた市民らファン約1000人が、黄色いハンカチを手に恒例の「おかえりなさい」コールで迎えた。同市での山田監督作品の上映会は2021年の「キネマの神様」以来、今回で26回目となり、山田会の活動30年の節目に花を添えた。
作品は、永井愛さんの同名戯曲が原作。大手企業の人事部長として日々神経をすり減らし、家庭では妻との離婚問題などに頭を悩ませる息子(大泉洋)と、1人暮らしながら人情味あふれる東京下町の住民に囲まれて生き生きと暮らす母(吉永小百合)の新たな出発が、おかしくも切なく描かれる。
この日、山田監督はファンと並んで客席で鑑賞。上映後、恒例の「おかえりなさい」コールに迎えられ、出演している北山雅康さん(56)とともに舞台あいさつに立った。北山さんは「男はつらいよ」シリーズで、「くるまや」店員の三平役を演じている。
「かつて映画というのは、こうやってみんなで楽しんだなと、ここに来ると思い出させてくれる。来て良かった。胸がいっぱいです」と山田監督。
メディアが多様化する今、「どうも映画の元気がなくなってきているように感じるが、日向に来ると、まだまだ僕たちは映画への希望を失ってはいけない、そんなことをしみじみ思わせてくれる」と語った。
「こんにちは、母さん」への思いにも触れ、最後は「本当に素晴らしい観客に囲まれて幸せ。またお会いしましょう」と客席に手を上げ、舞台を後にした。
夫と鑑賞した日向市富高の黒木和子さん(82)は「この上映会をいつも楽しみにしています。客席みんなの熱気を感じ、一緒に楽しませてもらいました。吉永小百合さんの姿に、年を重ねても人と出会うこと、挑戦していくことを諦めてはいけないと改めて思いました。すてきな作品でした」と話した。
◆映画館のない街で30年−市民有志の山田会
一作一作、応援する気持ちだけ持って
今でこそ〃当たり前〃となった山田監督作品の日向市での上映会だが、映画館のないこの小さな街でなぜ。山田監督を敬愛し、情熱を失うことなく地道に活動を重ねてきた山田会の30年を振り返る。
市民有志10人でつくる山田会。驚くことに、メンバーは発足当時から30年間変わらない。
活動のきっかけは「男はつらいよ」シリーズの45作目「男はつらいよ寅次郎の青春」(1992年公開)だった。
日南市でロケが行われたのだが、それを知った代表の和田康之さん(55)、当時25歳は思った。「なぜ日向でやってくれなかったのか」
そして馬ケ背や「美々津の街並み」など、主人公の「寅さん」こと車寅次郎が似合いそうな市内の名所を写真に収め、「ぜひ日向でロケを」と、その思いをしたためた手紙とともに、タレント名鑑に掲載されていた山田監督の住所に送った。
しかし当然ながら反応なし。ならばと次は、同じくタレント名鑑に掲載されていた電話番号に直接かけてみた。山田監督の事務所の電話番号だろうと思っていたという。
ところが、つながったのは山田監督の自宅。「映画館もない小さな街ですが…」と、同市でのロケと上映会への来場をお願いした。
和田さんは「会ったこともない若者からの突然の電話にもかかわらず、山田監督は親切に最後まで話を聞いてくれて。今思えば若気の至りです」と頭をかく。
その後、山田監督から紹介してもらった松竹の関係者へ上映会の企画書を提出。「来年(94年)1月に日向に行きます」と返事をもらい、初回の上映会(『学校』『同胞』の2作品)が決まった。
これを受け和田さんらメンバーは「映画製作のスタッフが『山田組』ならば、こちらは『山田会』に」と名前を決め、山田監督の了解も得て、93年に「山田会」を発足させた。
「1回目の上映会は、すごく勇気がいりました。当時はメンバー全員20代。自分たちの力で本当にできるのか。『赤字になったら(自分たちの)ボーナスを突っ込むしかない』と半分本気で話していました」
以来、同市での上映会は今回を含め26回を数え、2000年には「十五才学校検廚離蹈瑛驚廚蘯存修靴拭E喘罅∨榲に赤字を抱えたこともあったが、「もうやめよう」と切り出すメンバーは一人もいなかったという。「一作一作、山田監督の作品を応援する気持ちだけを持ってやってきた」と和田さんは振り返る。
メンバーの黒木康文さん(55)は「ただ正直に、一生懸命でした。われわれが目指した『映画館のない街で上映会を』を実現し続けていられることに、感謝の言葉しかありません」。
同じく、メンバーの黒木一憲さん(54)は「会場準備のため地がすりのほこりを必死で取ったこと、(市文化交流センターの)映写室に行くため山田監督とエレベーターに乗ったら閉じ込められてしまい、山田監督から『どうせ閉じ込められるなら女性が良かったな』と冗談を言われたことなど、思い出は尽きません」と振り返る。
また、この30年間で山田監督と市民の距離も近づいている。
山田監督は26回の上映会のうち、18回に来場。今回を含め「家族はつらいよ」(15年)以降の6回は、山田監督も客席に座り、市民らファンと一緒に鑑賞する形が続いている。
前回の「キネマの神様」(21年)では、コロナ禍で来場がかなわず、オンラインでの舞台あいさつとなったが、山田監督は画面越しに「日向の皆さんは僕にとって特別なんです。皆さん、他のお客さんのことなんかあまり気にせず、面白い場面では大声を出して笑う。そんな昔の映画館のような雰囲気が、僕はなんだか落ち着くんですね。と同時に、どんな反応をしてくださるのか、僕にとっては怖いお客さんでもあるわけです」と話している。
山田監督は現在91歳。メンバーの河野剛一さん(57)は「山田監督が日向に来られる限り、山田会の一員として取り組んでいきたい」と話す。