本紙掲載日:2023-07-21
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北川はゆま物語(中)

道の駅と歩んで30年

◆「運命感じる」夏田正昭北川総合支所長

 1994年の登録と96年の開駅時には北川町役場(当時)、2016年の重点道の駅指定の際には北川総合支所の職員として、北川はゆま整備事業を担当したのが、現同支所の夏田正昭支所長(57)。延岡初となる道の駅との歩みを振り返り、「重点道の駅指定の時はちょうど異動で北川に戻ってきていたタイミングだった。運命のようなものを感じるし、思い入れは人一倍」と目を細める。

◇機能集約して今の姿に

 はゆまは、盛武義美北川町長のドライブイン構想を発端に、産業振興の一環である林業構造改善事業において、木工体験ブースを含む「物産館」として建設が予定されていた施設。後に道の駅へと舵が切られることになり、レストラン、土産館、物産館の機能を一つの建屋に集約した現在の形へと落ち着いた。

 レストラン部分を中心に全体の事業調整を担っていた夏田さんは当時、プロジェクト会議や整備推進委員会で協議を重ね、担当者レベルはもちろん盛武町長や延岡工事事務所(現在の延岡河川国道事務所)所長とも積極的に意見を交換。はゆま建屋内で屋根を支えている高さ約9メートルの大きなスギ柱は、木造での建設が決まった際に延岡工事事務所側から「せっかくなので町産材を使っては」と出されたアイデアによるものだったという。

◇「北の玄関口」の先見の明

 国道と高速道の双方からアクセス可能な北川はゆまは、その好立地から今でこそ宮崎県の「北の玄関口」と称されるが、「建設時は、東九州自動車道や九州中央自動車道とはほぼ無関係。国道10号沿いの道の駅、休憩施設という位置づけだった」(夏田さん)。

 大きな転機となったのが1997年の台風19号による豪雨災害。北川町長井本村地区の田園地帯に置かれ、JR長井駅前で国道10号に接続するはずだった東九州自動車道の北川インターチェンジ(IC)は、一帯の冠水被害を受けてはゆま入り口に通じる現在地へと設置場所が見直された。

 当時、北川町は東九州自動車道からはゆまへのアクセスを可能にするためパーキングの建設を国に求めていたが、思わぬ形でそれ以上の結果を得ることに。これはのちの重点道の駅指定において高く評価された「東九州自動車道開通という好機を生かした地方創生」へとつながった。

 自身も要望活動に奔走していたという夏田さんは「台風災害は不幸な出来事だったが、結果的にはゆまが観光、経済だけでなく防災面からも素晴らしい施設になるきっかけになった。さかのぼってみると、この地での開駅を決めた盛武さんはじめ当時の人たちの先見の明を感じる」。

◇道の駅を目的地に

 国土交通省は現在、全国の道の駅を地方創生の核の一つと位置づけ、その持続可能な安定運営に向けた取り組みを推進している。夏田さんもこの点を重視しており、「子どもの遊び場やイベントスペース、再生可能エネルギーによる発電設備などはゆまの施設強化の余地は十分。『目的地化(観光地・地域拠点化)』が今後の在り方、テーマになっていく」と新たな歩みに夢を膨らませている。

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