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延岡工高などで花園の名将
◆審判としても活躍 延岡工業高校などを花園に導いた県高校ラグビー界の名将、竹井史旺(ふみお)さん(83)=日向市不動寺、県協会元顧問=が、日本ラグビー協会(JRFU)の「功労賞」に選ばれた。今年7月、東京都で開かれた全国理事長会議で、ラグビー日本代表を象徴する桜のマークと、「JRFU」の文字が入った盾、賞状を受け取った。竹井さんは「全て教え子たちのおかげ。感謝している。ラグビーはボール一つでみんなが集える素晴らしいスポーツ。子どもたちや若者がラグビーに興味を持ち、プレーしてくれるようこれからも普及に努めたい」と話している。 ◆ラグビーと教え子が生きがい 竹井さんは、日本体育大学を卒業した1964年、富島高に着任。1年間のみラグビーを指導し、その後6年間は、陸上や水泳の顧問を務めた。 以降、勤務した延岡工(16年間)、高鍋(5年間)、延岡(9年間)ではラグビー一筋。この間、77年度に延岡工、88年度に高鍋を全国高校ラグビー大会に導いた。複数校を花園に導いた県内の指導者は竹井さんただ一人という。 指導の傍ら、66年にC級レフェリー(審判)資格を取得。74年にはA級を取り、日本代表戦や日本選手権大会、全国社会人大会など国内の主要な試合で笛を吹いた。 退職後は、県のレフェリー委員長や九州協会レフェリー委員会委員を務め、人材育成に尽力。現在も九州協会レフェリーアセッサーとして後進育成に力を注いでいる。 功労賞は、日本協会が2010年度に設けた表彰制度に関する規定に基づく。永年にわたり各地でのラグビーの振興、発展に寄与、貢献した個人または団体に贈られている。21年度までに延べ42の個人、団体が受賞している。 竹井さんは約60年にわたる功績から九州協会による推薦を受け、3月の日本協会理事会で2022年度受賞者に決定。7月9日に東京都の東京ロイヤルパークホテルで行われた表彰式には、竹井さんをはじめ、功労賞の個人5人、普通功労賞の1団体と1個人が出席した。 ◆「俺たちの誇り」と喜びの声で受賞 実は竹井さん、これまで打診されてきた県や延岡市からの体育(スポーツ)功労など、あらゆる表彰を固辞してきた。理由は「評価されるべきは、自分ではなく生徒たち」との考えからだった。 今回も自身が受賞者であることを知ったのは、表彰式のわずか1カ月前。人柄を熟知している教え子や県・九州協会の役員らが水面下で動き、すべて決定した上で本人に伝えられたという。 突然の知らせに「本当に何も知らなかったから驚きました。いつもなら断りますが、教え子たちが『俺たちの誇りじゃ』と喜んでくれたから受けさせていただきました」と目を細めた。 また、教員時代から現在に至るまで、数々の思い出があるとした上で、68歳で患った食道がんの闘病時を振り返った。 大阪の大学病院で手術受けた後、見舞客が訪れた。「最初の富島高校時代にラグビーを指導した教え子たちでした。富島ではコーチとして1年しか指導していないのに、8人が来てくれました」 退院後、宮崎空港に降り立った際も出迎えがあり、付き添った妻の悠子さん(83)と共に慰労を受けたという。 そのほか、全国高校ラグビー大会出場を決めた試合内容や、還暦、古希、喜寿、傘寿の長寿祝いが4校ごとに開催されることなどを教え子の名前を挙げながら振り返った。 手にする功労賞の盾を眺めながら「今の自分があるのも、この表彰も、教え子たちのおかげ。感謝しかありません。ラグビーと教え子が生きがいです」とほほ笑んだ。
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延岡工高などで花園の名将
◆審判としても活躍
延岡工業高校などを花園に導いた県高校ラグビー界の名将、竹井史旺(ふみお)さん(83)=日向市不動寺、県協会元顧問=が、日本ラグビー協会(JRFU)の「功労賞」に選ばれた。今年7月、東京都で開かれた全国理事長会議で、ラグビー日本代表を象徴する桜のマークと、「JRFU」の文字が入った盾、賞状を受け取った。竹井さんは「全て教え子たちのおかげ。感謝している。ラグビーはボール一つでみんなが集える素晴らしいスポーツ。子どもたちや若者がラグビーに興味を持ち、プレーしてくれるようこれからも普及に努めたい」と話している。
◆ラグビーと教え子が生きがい
竹井さんは、日本体育大学を卒業した1964年、富島高に着任。1年間のみラグビーを指導し、その後6年間は、陸上や水泳の顧問を務めた。
以降、勤務した延岡工(16年間)、高鍋(5年間)、延岡(9年間)ではラグビー一筋。この間、77年度に延岡工、88年度に高鍋を全国高校ラグビー大会に導いた。複数校を花園に導いた県内の指導者は竹井さんただ一人という。
指導の傍ら、66年にC級レフェリー(審判)資格を取得。74年にはA級を取り、日本代表戦や日本選手権大会、全国社会人大会など国内の主要な試合で笛を吹いた。
退職後は、県のレフェリー委員長や九州協会レフェリー委員会委員を務め、人材育成に尽力。現在も九州協会レフェリーアセッサーとして後進育成に力を注いでいる。
功労賞は、日本協会が2010年度に設けた表彰制度に関する規定に基づく。永年にわたり各地でのラグビーの振興、発展に寄与、貢献した個人または団体に贈られている。21年度までに延べ42の個人、団体が受賞している。
竹井さんは約60年にわたる功績から九州協会による推薦を受け、3月の日本協会理事会で2022年度受賞者に決定。7月9日に東京都の東京ロイヤルパークホテルで行われた表彰式には、竹井さんをはじめ、功労賞の個人5人、普通功労賞の1団体と1個人が出席した。
◆「俺たちの誇り」と喜びの声で受賞
実は竹井さん、これまで打診されてきた県や延岡市からの体育(スポーツ)功労など、あらゆる表彰を固辞してきた。理由は「評価されるべきは、自分ではなく生徒たち」との考えからだった。
今回も自身が受賞者であることを知ったのは、表彰式のわずか1カ月前。人柄を熟知している教え子や県・九州協会の役員らが水面下で動き、すべて決定した上で本人に伝えられたという。
突然の知らせに「本当に何も知らなかったから驚きました。いつもなら断りますが、教え子たちが『俺たちの誇りじゃ』と喜んでくれたから受けさせていただきました」と目を細めた。
また、教員時代から現在に至るまで、数々の思い出があるとした上で、68歳で患った食道がんの闘病時を振り返った。
大阪の大学病院で手術受けた後、見舞客が訪れた。「最初の富島高校時代にラグビーを指導した教え子たちでした。富島ではコーチとして1年しか指導していないのに、8人が来てくれました」
退院後、宮崎空港に降り立った際も出迎えがあり、付き添った妻の悠子さん(83)と共に慰労を受けたという。
そのほか、全国高校ラグビー大会出場を決めた試合内容や、還暦、古希、喜寿、傘寿の長寿祝いが4校ごとに開催されることなどを教え子の名前を挙げながら振り返った。
手にする功労賞の盾を眺めながら「今の自分があるのも、この表彰も、教え子たちのおかげ。感謝しかありません。ラグビーと教え子が生きがいです」とほほ笑んだ。