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児玉俊介さん(延岡市出身、劇団うりんこ代表)インタビュー
◆18日、LGBTQ題材の舞台 愛知県名古屋市を拠点に活動する劇団うりんこは18日午後2時から、延岡市東浜砂町の延岡総合文化センター小ホールで性的少数者のLGBTQを題材にした「わたしとわたし、ぼくとぼく」を上演する。劇団うりんこ代表で、自身も出演する同市土々呂町出身の児玉俊介さん(61)に、公演の見どころや懸ける思いを聞いた。 −−どんな作品ですか。 主人公の保育園に勤める30歳の健人が、20年前の自分に出会います。小学生だった自分が男の子を好きになって、クラスメートにいじめられていて…。今も悩んでいるのに、20年前の自分に出会うことで、最後は「大丈夫だよ」と言えるようになる。そんな話です。 −−LGBTQを題材にし、銘打っている作品では日本初だそうですね。 7年前、今ほどLGBTQが浸透していない時に作られた作品です。東京の「劇団フライングステージ」代表で、自身もカミングアウトしている関根信一さんと一緒に仕事がしたいと、声を掛けました。 一緒にワークショップなどをするうちに、関根さんから「LGBTQで悩む子どもたちのために芝居が作れないか」と。本人としても、子どもたちに見せる、自分の記憶を掘り起こすことは、かなり怖くてしょうがなかったようです。 台本がなかなか作れない時もあって。それでも関根さん自身が勇気を振り絞って子どもたちに向かい、とても真摯(しんし)な台本ができたので、僕らも応えなければならないと思いました。 関根さんは「この作品を通して楽しんでくれればいい。遠慮なく笑って、泣けるんだったら泣けばいい」とおっしゃっています。 決して深刻なものではなく、でも「あなたの隣にそういう人がいるかもしれないねとなった時、手を差し伸べてみて」という優しい考えの中で作ってきた作品です。 −−どんなことを伝えたいですか。 絶賛してもらえた一方、「子どもたちには早いのではないか」という意見もありました。でもそこは、見た子どもたちがどう考えるか、というのを大事にしたかった。 案の定、子どもたちからは「今までそんな風に考えたことはなかったけど、そういう人がいたら差し伸べたい」「普通のことじゃん」「こういう接し方をしたい」とか子どもたちは素直で、全部受け止めてくれました。 統計では13人に1人が性的マイノリティー(少数者)を抱えていると言われています。自分たちではどうしようもない子どもたちもいるはずです。 ひそかに悩んだり、苦しんだりしている子がいたら「大丈夫だよ」と伝えたい。一番言いたいのは、LGBTQだけでなく、いろんなことに悩んだり、傷ついたりしている子どもたちに「大丈夫、一人じゃないよ」と伝えたい。 私たちは理解は示していますが、決してLGBTQの運動を行っている団体ではありません。あくまで演劇として、見た人たちが自分たちで答えを出してほしい。 テーマが重そうと感じるかもしれませんが、エンターテインメントな演劇として楽しんでもらうことが前提。見ている人たちがみんな元気になって劇場を出て行く。それが最大の目的です。 −−劇団うりんこは50周年を迎えます。 よく「児童劇」という概念を持たれがちですが、子どもたちの生きている社会は、社会の中で地続きで、地続きの世界で起こっているいろんな問題をテーマに扱っています。例えそれがファンタジーであっても、子どもたちの抱えている問題や喜び、希望につながるものを作りたいと、50年続けてきました。 −−いよいよ延岡公演です。 コロナ禍前に延岡でもやりたいと準備を進めている中で、途絶えてしまっていました。生まれ故郷の延岡で、という念願がかないますが、それ以上に、特に延岡の若い人たちにとにかくいろんなことを考えてほしいです。 あなたの隣人に一度目を向けてみませんか。もしかしたら何かに悩んでいるかもしれないし、何か力を貸せることがあるかもしれませんよ、と。 コロナ禍の3年間は、精神的に閉塞(へいそく)感もありました。芝居を見ることで、LGBTQにかかわらず人と人とのつながりを感じて、考えてほしい。それが伝わるとうれしいです。 何よりお芝居って面白い、生の演劇は面白いって感じてほしいです。 【プロフィル】児玉俊介(こだま・しゅんすけ)さん= 延岡市土々呂町出身。土々呂小、土々呂中、延岡高校卒。学生時代はバレーボールに打ち込んだ。小学校教員を目指して日本福祉大学に在学中、児童文化のサークルに入ったことで、教員とは違った立場で子どもと関われる児童劇に魅了され、「劇団うりんこ」に就職。9年間在籍後、1995年に退団して20年間はフリーとして活動した。劇団からの声掛けで2015年に劇団に戻り、20年4月からは株式会社うりんこ社長、劇団うりんこ代表を務めている。
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児玉俊介さん(延岡市出身、劇団うりんこ代表)インタビュー
◆18日、LGBTQ題材の舞台
愛知県名古屋市を拠点に活動する劇団うりんこは18日午後2時から、延岡市東浜砂町の延岡総合文化センター小ホールで性的少数者のLGBTQを題材にした「わたしとわたし、ぼくとぼく」を上演する。劇団うりんこ代表で、自身も出演する同市土々呂町出身の児玉俊介さん(61)に、公演の見どころや懸ける思いを聞いた。
−−どんな作品ですか。
主人公の保育園に勤める30歳の健人が、20年前の自分に出会います。小学生だった自分が男の子を好きになって、クラスメートにいじめられていて…。今も悩んでいるのに、20年前の自分に出会うことで、最後は「大丈夫だよ」と言えるようになる。そんな話です。
−−LGBTQを題材にし、銘打っている作品では日本初だそうですね。
7年前、今ほどLGBTQが浸透していない時に作られた作品です。東京の「劇団フライングステージ」代表で、自身もカミングアウトしている関根信一さんと一緒に仕事がしたいと、声を掛けました。
一緒にワークショップなどをするうちに、関根さんから「LGBTQで悩む子どもたちのために芝居が作れないか」と。本人としても、子どもたちに見せる、自分の記憶を掘り起こすことは、かなり怖くてしょうがなかったようです。
台本がなかなか作れない時もあって。それでも関根さん自身が勇気を振り絞って子どもたちに向かい、とても真摯(しんし)な台本ができたので、僕らも応えなければならないと思いました。
関根さんは「この作品を通して楽しんでくれればいい。遠慮なく笑って、泣けるんだったら泣けばいい」とおっしゃっています。
決して深刻なものではなく、でも「あなたの隣にそういう人がいるかもしれないねとなった時、手を差し伸べてみて」という優しい考えの中で作ってきた作品です。
−−どんなことを伝えたいですか。
絶賛してもらえた一方、「子どもたちには早いのではないか」という意見もありました。でもそこは、見た子どもたちがどう考えるか、というのを大事にしたかった。
案の定、子どもたちからは「今までそんな風に考えたことはなかったけど、そういう人がいたら差し伸べたい」「普通のことじゃん」「こういう接し方をしたい」とか子どもたちは素直で、全部受け止めてくれました。
統計では13人に1人が性的マイノリティー(少数者)を抱えていると言われています。自分たちではどうしようもない子どもたちもいるはずです。
ひそかに悩んだり、苦しんだりしている子がいたら「大丈夫だよ」と伝えたい。一番言いたいのは、LGBTQだけでなく、いろんなことに悩んだり、傷ついたりしている子どもたちに「大丈夫、一人じゃないよ」と伝えたい。
私たちは理解は示していますが、決してLGBTQの運動を行っている団体ではありません。あくまで演劇として、見た人たちが自分たちで答えを出してほしい。
テーマが重そうと感じるかもしれませんが、エンターテインメントな演劇として楽しんでもらうことが前提。見ている人たちがみんな元気になって劇場を出て行く。それが最大の目的です。
−−劇団うりんこは50周年を迎えます。
よく「児童劇」という概念を持たれがちですが、子どもたちの生きている社会は、社会の中で地続きで、地続きの世界で起こっているいろんな問題をテーマに扱っています。例えそれがファンタジーであっても、子どもたちの抱えている問題や喜び、希望につながるものを作りたいと、50年続けてきました。
−−いよいよ延岡公演です。
コロナ禍前に延岡でもやりたいと準備を進めている中で、途絶えてしまっていました。生まれ故郷の延岡で、という念願がかないますが、それ以上に、特に延岡の若い人たちにとにかくいろんなことを考えてほしいです。
あなたの隣人に一度目を向けてみませんか。もしかしたら何かに悩んでいるかもしれないし、何か力を貸せることがあるかもしれませんよ、と。
コロナ禍の3年間は、精神的に閉塞(へいそく)感もありました。芝居を見ることで、LGBTQにかかわらず人と人とのつながりを感じて、考えてほしい。それが伝わるとうれしいです。
何よりお芝居って面白い、生の演劇は面白いって感じてほしいです。
【プロフィル】児玉俊介(こだま・しゅんすけ)さん=
延岡市土々呂町出身。土々呂小、土々呂中、延岡高校卒。学生時代はバレーボールに打ち込んだ。小学校教員を目指して日本福祉大学に在学中、児童文化のサークルに入ったことで、教員とは違った立場で子どもと関われる児童劇に魅了され、「劇団うりんこ」に就職。9年間在籍後、1995年に退団して20年間はフリーとして活動した。劇団からの声掛けで2015年に劇団に戻り、20年4月からは株式会社うりんこ社長、劇団うりんこ代表を務めている。