本紙掲載日:2023-09-26
(8面)

巨典の−故郷は遠きにありて思うもの(30)

ふる里をいとおしく思いながら福岡拠点に活動−松浦朋代さん(延岡市出身)

◆学生時代に選んだボーカルの道−06年、米NYで拍手喝采
「やってきたこと間違ってなかった」音楽の道志す子どもたちへ
「素直な気持ち忘れずに」

 2006年、米ニューヨークにある黒人音楽の殿堂「アポロシアター」。そのステージに延岡出身の女性が立っていました。

 ゴスペル(黒人霊歌)チームの一員として45分間のライブを行い、スタンディングオベーション(感動した観客が満場総立ちで盛大な拍手喝采を送る最大級の賛辞)を受けたのです。ステージから降りると涙があふれました。「自分がやってきたことは間違ってなかった。そして、ちゃんと伝わったんだ!」。

 現在、福岡をベースにミュージシャンのバックコーラスやボーカルの講師として活動している松浦朋代さんは、もともと音楽が大好きな子どもでした。

 延岡総合文化センターで収録された「BSジュニアのど自慢」に予選を勝ち抜いて出場、合格の鐘を鳴らしてもらったこともありました。

 延岡・南中学校時代は吹奏楽部でトランペットを担当。マーチングで、宮崎県代表として九州大会に出場しました。以来、マーチングの魅力に取りつかれ、何と中学校を卒業する頃にはマーチングの指導者の資格を取得したのでした。進学した延岡西高校(現在の延岡星雲高校)にはマーチング部がなかったために吹奏楽部に在籍。高校生ながら西階中学校などでマーチングの指導も行っていたそうです。

 その後、福岡スクールオブミュージック&ダンス専門学校に入学。楽器から歌にシフトし、本格的に学びたかった「ボーカル」を専攻します。以来、ボーカル漬けの日々が始まります。

 毎日、朝9時に登校し、発声練習を90分。その後、授業で歌い、合間には空き教室で歌い、帰るのは夜の9時。土、日曜日も基本、学校で、アルバイトをする時間も取れなかったために寮に入って奨学金を受給しながらの3年間でした。その苦しかった3年間を振り返りながら、松浦さんは楽しそうに話します。

 「発声練習は、いわば筋トレなんです。だって声帯は筋肉でできているのですから。そう考えたら、トレーニングなしで上達するはずないですよね(笑)」

 音楽の道を志す県北の子どもたちに伝えたいことは、「やりたいことに突き進んでほしい。そして、素直な気持ちを忘れないでほしい」とのこと。欠かせないのは音楽を大好きな気持ち、そして、教えてもらったことをきちんと受け入れる素直さが大切なようです。

 松浦さんが近い将来、楽しみにしていることがあります。東京で活躍しているプロドラマーから声を掛けられ、来年4月にカメルーンで行われる予定のライブに参加することです。

 カメルーンの有名アーティスト、エルベ・ングエボの母国でのライブで、その後、ワールドツアーに発展するかもしれないとのことで、こちらも大いに楽しみです。

 松浦さんに「延岡の音ってどんな音?」と質問してみました。返ってきた答えは「水がはじける音」でした。やはり、ふるさとは水郷延岡、そして鮎(あゆ)やなのイメージが強いそうです。

 かつて松浦さんは、延岡のことを歌った「ふるさと」という曲を作っています。歌詞には、たまには帰っておいでよと呼ぶ声が聞こえるまだ帰れないと首を横に振る待ってて、私のふるさととあります。

 昔は、夢をかなえられない延岡を早く出たかったと思っていたそうですが、最近は延岡を盛り上げるためにお手伝いがしたいと思う気持ちが強くなったそうです。どうすれば、ふるさとの役に立てるのか、まだ具体的な答えにはたどり着いていませんが、延岡のことをいとおしく思う気持ちは年々強くなっているそうです。

 延岡市日の出町に「うちカフェROCO」という店があります。ライブスペースもあるカフェで、松浦さんのお母さんが「娘が帰って来られる場所を」との気持ちも込めてオープンさせたそうです。

 まだ、しばらくは県外、海外での活動が続くかもしれませんが、いずれはぜひ、松浦さんの〃音〃を延岡からも発信してもらいたいものです。水郷を流れる水のような、弾ける、美しい音を。

◇11月に延岡でライブ

「うちカフェROCO」で11月25日午後6時から、松浦さんと、北海道や福岡からのアーティストを交えてのライブが行われます。

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