本紙掲載日:2023-10-23
(3面)

県人会世界大会に向けて

移住の歴史を紹介するパネル
県人会がある世界各国のおもちゃなども展示されている

宮崎空港でパネル展

 27日の開幕を前に宮崎空港で18日、「宮崎県人会世界大会パネル展」が始まった。国内外の宮崎県人会などを紹介するパネル24点などが展示されており、国際経済交流課は「県民に限らず、空港利用者に県人会を知ってほしい」と話している。31日まで。

 同課によると、1877年の西南戦争後の不況により、政府は移民の母国送金などを期待し、出稼ぎとしてハワイやアメリカなどに積極的に送り出した。ただ、移民は情報と違う賃金や過酷な労働に苦しめられた。

 1890年代ごろからは、移民の増加などによってアメリカなどで排日運動が起こったため、移住先として南米が注目された。排日運動が続く中、県内からは川南町出身の甲斐長蔵が1912年、ペルーからブラジルへと渡ったという。

 1939年の第2次世界大戦勃発で海外移住は中断。しかし、現地で暮らしていた日系人は「敵性外国人」と見なされ、強制収容されたり迫害や差別、不利益を受けたりするなど苦難の時期を過ごした。

 同大戦後は国策の後押しもあり、南米を中心に移住が再燃。移民たちはつらい目に遭いながらも辛抱強く働いて現地になじみ、経済的地位や社会的な信頼を得るようになった。

 日本全国からは、明治初期から第2次世界大戦後を通して約103万人が世界各地に渡った。宮崎県は、甲斐長蔵のように海外での成功を夢見て、同大戦後ごろまでに4千人以上がふるさとを離れ、新天地へと向かったという。

 こうした移住の歴史紹介のパネルに加え、ブラジル開拓の記録も展示。「元気で待つていておくれちぎれるほどに手を振つてさよならさよなら投げたテープも次々と切れゆく時の悲しさよ」と、船出などの様子が垣間見られる内容となっている。

 また、宮崎県人会のあるパラグアイやシンガポールなどの民族衣装、おもちゃ、工芸品なども飾られているほか、来県する各国の県人会員へメッセージを記入するコーナーと県内26市町村を紹介するブースも設置された。

 世界大会が近づき同課の山台修一課長は「本番まで『おかえり』と『ただいま』の機運をしっかりつくっていきたい。県人会の方々に『宮崎はこんなに素晴らしいところなんだ』と、思ってもらえるような大会にしたい」と抱負を述べた。

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