本紙掲載日:2023-11-08
(3面)

日本酒「いすゞ美人」−復活に向け、さらに一歩

北郷宇納間で酒米の種籾豊作

◆6月に有志らが手植え−美郷町

 旧北郷村宇納間(現美郷町北郷宇納間)で、1968(昭和43)年まで醸造されていた日本酒「いすゞ美人」の復活計画を進めている「いすゞ美人復活委員会」は1日、同町北郷宇納間長野地区の水田で酒米の稲刈りを行った。

 酒米の瑞豊(ずいほう)は「いすゞ美人」に使われていたうるち米。食用の主力品種ヒノヒカリよりも背が高く、粒が大きいのが特長だが、県内には種籾(もみ)が現存していなかった。

 このため農業機構遺伝子資源研究センター(茨城県つくば市)が保存していた50粒の種籾を譲り受け、県農業試験場で発芽させて増やし、苗箱1個分に選抜したものを今年6月、有志らが丁寧に手植えした。

 水田は同地区の農業長田武さんの所有で管理が行き届いていたことに加え、天候に恵まれたこともあって豊作となった。参加した人たちは、専用の鎌を手にザクザクと手際よく刈り取り、次々と束ねては竹製の干し台に掛けていった。

◆天候に恵まれ、予想以上の収穫−「早ければ再来年には」と期待も

 この日収穫した瑞豊は、来年の春、再び種籾としてさらに広い田んぼに植えられ、酒米として育てられる。

 役場担当者の甲斐範浩さんは「天候にも恵まれて予想以上にたくさんの収穫が見込めて良かった。来年この種籾を植えて稲を育てれば、早ければ再来年には最初のお酒が飲めるかもしれません」と期待を膨らませていた。

◆酒米も酵母も水も宇納間産−地酒復活に向けて着実な歩み

 蔵元だった宇納間の甲斐酒店(旧屋号甲斐酒造)では、既に酒だるなどの周辺で数種類の酵母が採取されており、県食品開発センターで「いすゞ美人」にふさわしい酵母が絞り込まれている。宇納間産の酒米と酵母、水を使った地酒復活に向けて、着実に歩みが進んでいる。

 同協会は、地域資源を活用するための産官学によるプロジェクトとして昨年7月に発足。

 発起人代表は宇納間の岡田商店代表の岡田栄一さん。メンバーは甲斐酒店の甲斐史浩代表と家族、町商工会、宮崎大工学部の塩盛弘一郎教授、県食品開発センターの平川良子所長、東臼杵農林振興局の伊木信仁次長、千徳酒造の門田賢士社長、田中秀俊町長、藤本茂副町長など。

◆酒造り通じ台湾と交流も−日本酒復活目指す8人が訪問

 この日は海外からのゲストもあり、酒造りを通じた交流があった。訪れたのは台湾北東部の宜蘭(ギーラン)県で、日本統治時代の米と製法を使って日本酒復活に取り組んでいる8人。

 諸塚村出身で台湾在住「台湾宮崎いっちゃが会」事務局長の田丸真美さんが、お母さんのふるさとでもある美郷町で「いすゞ美人」復活プロジェクトが進んでいることを知り、台湾の人たちとの縁をつないだ。

 一行は黄金色の穂を付けた田んぼを見学したほか、役場の甲斐範浩さんからプロジェクトや酒米についての説明を聞いた。

 一通り説明が終わると、それぞれが鎌を手にこうべを垂れた稲穂の中へ。地元の人たちも驚くような手際の良さで稲刈りを手伝い、一気に作業を進めた。

 宜蘭県は〃米どころ〃として知られる一方、年々落ち込む米消費を拡大する道を模索していたという。そんな時、日本酒造りにふさわしい吉野一号という品種の酒米が台湾に残っていたことを知り、「自分たちで育てた米で日本酒を造ろう」と、プロジェクトが動き出した。

 訪問団代表の鮴直勝淵薀ぁΕ掘璽ぅ鵝砲気鵑蓮◆崚調櫃気鵑反討靴させてもらい、『ぜひ見学を』と、お願いして話が進み、不思議なご縁に感動しました。米を作る者同士、台湾も日本もみんな一緒。頑張ってお米の未来に夢を見ていきたい。これから情報交換や交流をしながら、日本酒文化を広げることができれば」と話していた。

 縁を取り持った田丸さんは「日本酒自体も人気がありますし、鬚気鵑鬚呂犬甞Г気鷆縮D邸垢任后F韻献廛蹈献Дトを進める者同士。母親の地元と台湾をつなぐことができればと思いました。美郷町の方にも千徳酒造の皆さんにも喜んでいただきましたし、いつか、宜蘭のお酒と北郷のお酒を〃兄弟酒〃としてPRできれば面白いと思います」と手応えを話していた。

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