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中世時代の建物遺構−儀式の高坏など発見
県埋蔵文化財センター(吉本正典所長)は12日、堤防拡張のため、6月から発掘調査を行っている延岡市天下町の田宮遺跡で現地説明会を開いた。約50人が参加し、同遺跡で発見された遺物や遺構を見学した。 ◆「近くに遺跡ロマン感じる」約50人参加 同所は、国交省の五ケ瀬川・大瀬川適正分派事業に伴う試掘で新たに発見された遺跡。弥生土器や中世の陶磁器などが発見されたため、6月中旬から今月中旬まで発掘調査を続けている。調査面積は988平方メートル。 同遺跡では、大きく分けて古墳時代(3〜7世紀ごろ)、古代(8〜12世紀ごろ)、中世(13〜16世紀ごろ)の遺物や遺構が発見されたという。 説明会では、5カ月にわたって同所で調査を続けている同センターの守部丘大さんが、遺跡近くに建てられた事務所内で遺物について、川嶋信平さんが遺跡内に実際に入り遺構について説明した。 古墳時代の遺物のうち、祭りや儀式で用いられる高坏(たかつき)は「なかなかきれいな形で見つかることはなく、出てきた時は興奮した」と守部さん。 中世の出土品には、中国や朝鮮半島から輸入された青磁や白磁の破片が多数、漁の際に重りとして網に取り付けて使った素焼きの「管状土錘(どすい)」が100個以上あった。 調査区域内の遺構には、「中世のものが出てきていると考えている」と川嶋さん。2メートル四方の小型サイズで、住居よりも作業場などとして使われていた可能性が考えられる竪穴建物1基、掘立柱建物が5棟、柵列が5本があったと、柱の跡から推測できるという。 このうち掘立柱建物のうち一つは、庇(ひさし)、または縁側と考えられる付属施設が南と東に付いた「二面庇付掘立柱建物」であったと考えられるという。 田宮遺跡の北側丘陵上には、国指定の南方古墳群(古墳時代)、五ケ瀬川を挟んだ東側丘陵上には土持氏の西階城跡(中世)がある。センターは遺物や遺構を記録し、南方古墳群や西階城との関係も踏まえながら調査を進め、今後、報告書にまとめる予定だという。 近くに住んでいる謀沈何里気鵝扮箍高校3年)は日本史の教科書や資料集を持参し、熱心に見学。「自分たちが住んでいる近くに遺跡が眠っているなんて、ロマンがあるなと思いました。教科書でしか見たことがなかった土器を触ったり、実物で見られたりしてとても面白かった」 夏休みに発掘作業に参加したという佐保ひろなさん(同高2年)は「参加した時、遺構ははっきり出ていなかったので感動しました。人が住んでいた跡が分かり、タイムスリップしたような気になっています」と話した。
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中世時代の建物遺構−儀式の高坏など発見
県埋蔵文化財センター(吉本正典所長)は12日、堤防拡張のため、6月から発掘調査を行っている延岡市天下町の田宮遺跡で現地説明会を開いた。約50人が参加し、同遺跡で発見された遺物や遺構を見学した。
◆「近くに遺跡ロマン感じる」約50人参加
同所は、国交省の五ケ瀬川・大瀬川適正分派事業に伴う試掘で新たに発見された遺跡。弥生土器や中世の陶磁器などが発見されたため、6月中旬から今月中旬まで発掘調査を続けている。調査面積は988平方メートル。
同遺跡では、大きく分けて古墳時代(3〜7世紀ごろ)、古代(8〜12世紀ごろ)、中世(13〜16世紀ごろ)の遺物や遺構が発見されたという。
説明会では、5カ月にわたって同所で調査を続けている同センターの守部丘大さんが、遺跡近くに建てられた事務所内で遺物について、川嶋信平さんが遺跡内に実際に入り遺構について説明した。
古墳時代の遺物のうち、祭りや儀式で用いられる高坏(たかつき)は「なかなかきれいな形で見つかることはなく、出てきた時は興奮した」と守部さん。
中世の出土品には、中国や朝鮮半島から輸入された青磁や白磁の破片が多数、漁の際に重りとして網に取り付けて使った素焼きの「管状土錘(どすい)」が100個以上あった。
調査区域内の遺構には、「中世のものが出てきていると考えている」と川嶋さん。2メートル四方の小型サイズで、住居よりも作業場などとして使われていた可能性が考えられる竪穴建物1基、掘立柱建物が5棟、柵列が5本があったと、柱の跡から推測できるという。
このうち掘立柱建物のうち一つは、庇(ひさし)、または縁側と考えられる付属施設が南と東に付いた「二面庇付掘立柱建物」であったと考えられるという。
田宮遺跡の北側丘陵上には、国指定の南方古墳群(古墳時代)、五ケ瀬川を挟んだ東側丘陵上には土持氏の西階城跡(中世)がある。センターは遺物や遺構を記録し、南方古墳群や西階城との関係も踏まえながら調査を進め、今後、報告書にまとめる予定だという。
近くに住んでいる謀沈何里気鵝扮箍高校3年)は日本史の教科書や資料集を持参し、熱心に見学。「自分たちが住んでいる近くに遺跡が眠っているなんて、ロマンがあるなと思いました。教科書でしか見たことがなかった土器を触ったり、実物で見られたりしてとても面白かった」
夏休みに発掘作業に参加したという佐保ひろなさん(同高2年)は「参加した時、遺構ははっきり出ていなかったので感動しました。人が住んでいた跡が分かり、タイムスリップしたような気になっています」と話した。