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元ハンドボール選手の冨永直斗さん
◆「一つ一つ自分にできることを」 スポーツの現役選手やOB、OGが〃夢先生〃として学校を訪れ、自身の経験を伝える「JFA(公益財団法人日本サッカー協会)こころのプロジェクト『夢の教室』」が11、12日、延岡市内の三つの中学校であった。2年生約130人が受講。夢を持つことやかなえるための努力の大切さなどを学んだ。 同教室は2006年にスタート。市内では19年に始まり、今年度も含めて14校で実施されている。今年、4年ぶりに対面での開催が実現した。 11日には、北川中学校(櫛谷裕二校長、59人)と黒岩中学校(吉永登志孝校長、22人)に、都城市出身の元ハンドボール選手で、小林秀峰高3年時に日本一を経験した冨永直斗さん(29)が訪れ、夢先生を務めた。 このうち北川中では21人が受講。冨永さんは母親が延岡市出身で、夏休みのたびに北川の川で遊んでいたといい、高校時代の監督は同校出身の北林健治さんと、北川にはゆかりが深いという。 前半、運動を取り入れたゲームで子どもたちとの団結力を高め、距離を縮めた冨永さん。授業では、「きついことから逃げる人だった」という幼少期からこれまでを、人生グラフに表しながら、振り返った。 小学校卒業の直前、「ハンドボールが続けたい」と両親に懇願し、進学予定だった中学校とは違うハンドボール部がある中学校に進学。しかし練習初日、厳しい練習に付いていけず、早速逃げ出してしまう。 その時、「全部を頑張るのは無理かもしれない。自分にできることをしよう」と決心。自分にできることに取り組んでいるうちにできることは増え、3年時には自ら監督に直訴し、県選抜に入るまでに成長した。 日本一を目指して進学した小林秀峰高では、実力者が多く、ばかにされて落ち込む中、中学校入学時のことを思い出し、「一つ一つ自分にできることをやろう。できないことには目を向けなくていい」と切り替えた。 自分にできることとして考えたのが、▽たくさん声を出す▽皆を盛り上げる▽前向きな声掛けをする―の三つ。そして、自分自身が日本一という夢をかなえた選手と勘違いして行動もした。 当時の冨永さんが考えた日本一の選手は、▽すべてのことに感謝できる▽みんなに優しい▽ごみを拾う▽元気にあいさつをする―。日常の中で繰り返すうち、3年生の時に同競技男子で県勢初のインターハイ優勝を達成。 ハンドボール選手になることを目指し進学した福岡大では、全十字靱帯(じんたい)断裂を2度経験。夢を失った時期がありながらも、「自分にできること」を続けた。 卒業時には「君みたいなやつは取れないし、必要ない。練習に来たいんだったら来てもいいよ」と、入社を断られていた実業団チーム「トヨタ車体BRAVEKINGS」へ。参加させてもらった練習で、所属選手に怒られながらも最後まで貫いた「声を出して盛り上げる」姿が買われ、選手兼マネジャーとして、受け入れてもらえた。 何度も笑いを取り、そして時に涙ぐみながら熱く語った冨永さんは、「悩んでくじけそうなとき、自分にできることを一つ一つ積み重ねて。自分にできることをやり続けたら、自分にしかできないことになる。それが夢が開けていく武器になって、助けてくれる」とメッセージ。「悩んだら全部頑張るのではなく、自分にできることをやって」と呼び掛けた。 塚本爽良さん(13)は「夢先生の話を聞いて、かなえることができるか不安だった夢をかなえたいと思った。自分にできることを考えて、やっていきたい」と感想。 ハンドボールをしている黒田愛禾さん(14)は「会えたことがうれしかったし、前向きになれるような言葉を掛けてもらえた。今やっていることを、今以上に頑張りたいと思った」と話した。
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元ハンドボール選手の冨永直斗さん
◆「一つ一つ自分にできることを」
スポーツの現役選手やOB、OGが〃夢先生〃として学校を訪れ、自身の経験を伝える「JFA(公益財団法人日本サッカー協会)こころのプロジェクト『夢の教室』」が11、12日、延岡市内の三つの中学校であった。2年生約130人が受講。夢を持つことやかなえるための努力の大切さなどを学んだ。
同教室は2006年にスタート。市内では19年に始まり、今年度も含めて14校で実施されている。今年、4年ぶりに対面での開催が実現した。
11日には、北川中学校(櫛谷裕二校長、59人)と黒岩中学校(吉永登志孝校長、22人)に、都城市出身の元ハンドボール選手で、小林秀峰高3年時に日本一を経験した冨永直斗さん(29)が訪れ、夢先生を務めた。
このうち北川中では21人が受講。冨永さんは母親が延岡市出身で、夏休みのたびに北川の川で遊んでいたといい、高校時代の監督は同校出身の北林健治さんと、北川にはゆかりが深いという。
前半、運動を取り入れたゲームで子どもたちとの団結力を高め、距離を縮めた冨永さん。授業では、「きついことから逃げる人だった」という幼少期からこれまでを、人生グラフに表しながら、振り返った。
小学校卒業の直前、「ハンドボールが続けたい」と両親に懇願し、進学予定だった中学校とは違うハンドボール部がある中学校に進学。しかし練習初日、厳しい練習に付いていけず、早速逃げ出してしまう。
その時、「全部を頑張るのは無理かもしれない。自分にできることをしよう」と決心。自分にできることに取り組んでいるうちにできることは増え、3年時には自ら監督に直訴し、県選抜に入るまでに成長した。
日本一を目指して進学した小林秀峰高では、実力者が多く、ばかにされて落ち込む中、中学校入学時のことを思い出し、「一つ一つ自分にできることをやろう。できないことには目を向けなくていい」と切り替えた。
自分にできることとして考えたのが、▽たくさん声を出す▽皆を盛り上げる▽前向きな声掛けをする―の三つ。そして、自分自身が日本一という夢をかなえた選手と勘違いして行動もした。
当時の冨永さんが考えた日本一の選手は、▽すべてのことに感謝できる▽みんなに優しい▽ごみを拾う▽元気にあいさつをする―。日常の中で繰り返すうち、3年生の時に同競技男子で県勢初のインターハイ優勝を達成。
ハンドボール選手になることを目指し進学した福岡大では、全十字靱帯(じんたい)断裂を2度経験。夢を失った時期がありながらも、「自分にできること」を続けた。
卒業時には「君みたいなやつは取れないし、必要ない。練習に来たいんだったら来てもいいよ」と、入社を断られていた実業団チーム「トヨタ車体BRAVEKINGS」へ。参加させてもらった練習で、所属選手に怒られながらも最後まで貫いた「声を出して盛り上げる」姿が買われ、選手兼マネジャーとして、受け入れてもらえた。
何度も笑いを取り、そして時に涙ぐみながら熱く語った冨永さんは、「悩んでくじけそうなとき、自分にできることを一つ一つ積み重ねて。自分にできることをやり続けたら、自分にしかできないことになる。それが夢が開けていく武器になって、助けてくれる」とメッセージ。「悩んだら全部頑張るのではなく、自分にできることをやって」と呼び掛けた。
塚本爽良さん(13)は「夢先生の話を聞いて、かなえることができるか不安だった夢をかなえたいと思った。自分にできることを考えて、やっていきたい」と感想。
ハンドボールをしている黒田愛禾さん(14)は「会えたことがうれしかったし、前向きになれるような言葉を掛けてもらえた。今やっていることを、今以上に頑張りたいと思った」と話した。