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ココカラSDGs−第27回「海の森を守る藻場再生プロジェクト」

本紙掲載日:2023-06-22
6面

◆日向RCでブルーカーボン活動−徳永さん
◆日向の波と恋に落ち移住−岩本さん
◆この星に住む私たちの責任−難波さん

 今注目のSDGs(エスディージーズ)をテーマに、地域や地球の未来を共に考えるFMのべおかの番組「ココカラSDGs」の第27回「海の森を守る藻場再生プロジェクト」が、15日に放送された。内容を一部抜粋して紹介する。

 アドバイザーはSDGsコミュニケーターの難波裕扶子さん(50)=シンク・オブ・アザーズ代表、日向市亀崎西=。ゲストは日向ロータリークラブ(RC)幹事の徳永博樹さん(53)、平岩採介藻グループの岩本愛さん(38)。なお、収録は7日に行われ、岩本さんはリモートで出演した。

▽提供:旭化成、グローバル・クリーン

□再放送□22日午後8時、25日午前11時からの2回


−−今回のテーマは「海の森を守る藻場再生プロジェクト」です。

〈難波〉6月8日は「世界海洋デー」。国連で制定された国際デーの一つで、海とのつながりに思いをはせて感謝する日とされています。そこで今回は、日向市を中心に海を守る活動に携わっているお二人に話を伺おうと思います。

−−では徳永さん、自己紹介をお願いします。

〈徳永〉日向市本町で保険代理店・株式会社ヒムカエージェンシーを営んでいます。もう一人のゲスト岩本さんとは、私が入っている日向RCで取り組んでいるブルーカーボン活動を通して出会いました。

−−続いて岩本さん、自己紹介をお願いします。

〈岩本〉私は約3年前に東京から日向に移住しました。もともとサーフィンが趣味で、日向の波がとにかく素晴らしすぎて、それに魅せられてしまいました。
日向で暮らしながらリモートで大学院生として学び、海に入っていたのですが、すぐ近くの海で漁師さんたちが地道に藻場再生に取り組んでいることをニュースで知って、参加させてもらうことになりました。
その後、そんな私のことをメディアの方が取り上げてくださって、それがきっかけで徳永さんたち日向RCの方々とのご縁が生まれて、結果的にブルーカーボンを吸収して貯留する藻場の再生に、一緒に取り組むようになりました。

〈難波〉皆さん、先ほどから出ているブルーカーボンという言葉をご存じでしょうか。似ている言葉にグリーンカーボンがあります。グリーンカーボンとは陸上の植物が蓄えた炭素のことで、これに対し、藻場などの海洋生態系に取り込まれた炭素のことをブルーカーボンと言います。

−−具体的にどのようなことに取り組まれているのですか。

〈徳永〉昨年9月の台風14号の襲来時には、かなりの流木が海岸に打ち寄せられて、岩本さんと付き合いのある漁師さんから船が出せない、仕事ができないと助けを求められました。
行政に頼っても1、2カ月かかるということだったので、できる限り多くの人手を集めて、岩本さんも一緒になんとか1カ月弱で流木を撤去しました。

−−そもそもなぜ、藻場再生が必要なのでしょうか。

〈岩本〉いろいろな要因や状況があるのですが、一つは気候変動です。今、地球では空気中の炭素のバランスが、奇跡的に私たち人間が快適に過ごせる状態をつくってくれているのですが、それを人間が産業革命後にどんどん石油などの化石燃料を掘り起こして、二酸化炭素を空気中にリリースしてしまったので、そのバランスがおかしくなっているのです。
二酸化炭素が空気中にたくさんあると、太陽の熱をたくさん吸収してためてしまうので、気候が暖かくなってしまいます。
空気中だけではありません。地球の表面の70%は海ですが、二酸化炭素は何もしなくても海の中を循環して増えてしまっています。二酸化炭素を空気でも水でもないところにとどめておくことが、私たち人間が快適に過ごすために今とても重要なのです。
海の中でその、とどめる役割を担ってくれているのが海藻です。海藻は二酸化炭素を体の中に取り込んでくれます。ところが、今まではその役割を果たしてくれていたのですが、気候変動で空気だけでなく海水も温まってしまい、魚たちの食行動が変化したことで、海藻が次から次へと食べ尽くされて育たなくなってしまったのです。
海藻は「海のゆりかご」と言われています。その海藻が育たないと、魚の赤ちゃんや貝の赤ちゃんが身を守る場所がなくなってしまう。すると、私たち人間も魚を食べることができなくなります。
そんないろいろな役割を果たしてくれている海藻を守ろうという活動が今、全国に広がっています。日向市の平岩地区の場合は17年前、ブルーカーボンの話が世の中に出てくる前から、漁師さんたちがいち早くそのことに気付き活動しています。
漁師さんたちの地道な手作業の、手探りの活動によって今、平岩地区ではとても豊かに海藻が育っていて、海に潜ると本当にうれしくなるような、そんな状況です。
また細島地区の御鉾ケ浦でも、徳永さんたち日向RCの皆さんと一部の漁師さんが藻場の再生に取り組んでいます。

−−岩本さんが移住した経緯を、もう少し詳しく聞かせていただけますか。

〈岩本〉先ほども少し触れましたが、もともとサーフィンが趣味で東京に住みながら週末だけ車で2、3時間かけて千葉などの海に行く生活を送っていました。
途中から連休のたびにサーフトリップに行くようになり、初めは奄美大島にはまりました。その後、ちょうど転職することになり、その有給消化のタイミングで2019年に初めて宮崎県を訪れました。その時は1週間滞在し、宮崎市と日向市の海を半分ずつ楽しみました。
そしたら、もうとにかく日向の波が良くて、雰囲気や人もすごく良くて、日向の波と恋に落ちてしまったというか。そこから1年間ほど連休のたびに日向に通っていました。
翌20年の春から一度仕事を辞めて大学院に通うことにしていたのですが、コロナ禍に突入し、通いではなくフルリモートに切り替わってしまいました。であれば「私、東京にいる意味はないよね」と夫にへりくつをこねて、勝手に一人で日向に住み始めてしまいました。

−−岩本さんは日本オリンピック委員会で働いていたそうですね。

〈岩本〉筑波大学で国際関係学を専攻していましたが、大学発スポーツベンチャーの運営に携わったことをきっかけに、紆余(うよ)曲折を経て、14年から日本オリンピック委員会に勤務し、国際渉外などを担当しました。
その後、サステナビリティ分野に転向するために同委員会を辞めて、CSRコンサルタントとして働き始めました。そして「もっと勉強したい」と国連大学の大学院に入学しました。

−−サステナビリティ分野に興味を持った理由を教えてください。

〈岩本〉毎週末、東京から千葉などの海に通う中で冬になっても水温を低く感じないなど、海の変化が体感で分かるようになりました。その原因を知りたい、止めたいという思いがありました。
また、日本オリンピック委員会の仕事を通じて、札幌市の冬季オリンピック2030の招致も担当しており、その中で、世界中でオリンピックを開催できる場所が少なくなっていることを知りました。
例えば、札幌市のような冬季オリンピックが開催できる、さらさらのパウダースノーがある場所が世界中にほとんどないことなど、このままスポーツだけを続けていたら、スポーツ自体できなくなる現状を具体的に目の当たりにしてきました。
私がサーフィンを続けていくためには海を守らなければいけないと思い、サステナビリティ分野に転向しました。

−−現在はどのような仕事をされているのですか。

〈岩本〉昨年夏に国連大学の大学院を卒業し、同9月から株式会社UMITOPartners(ウミトパートナーズ)=東京都=に入社しました。漁業を持続可能にすることで、海を持続可能にする活動をしている組織でフルタイムで働いています。
私が宮崎県に住んでいることなどを理解してもらい、基本的にはリモートで働き、必要な時には出張しています。

−−徳永さんが海の保全活動を始めたのはなぜですか。

〈徳永〉私は日向RCに入っています。全世界のRCには「ロータリー奉仕デー」が設けられており、同じ日にそれぞれの地区のRCが合同でマイクロプラスチック除去などを行っていました。しかし、コロナ禍で合同での活動ができなくなり、各クラブで活動することになりました。
そこで日向RCでは、ブルーカーボンを吸収して貯留する藻場の再生に取り組み始めました。来月1日の活動で4回目になりますが、藻場の再生にはまだまだ届いていません。モニタリングをしながらどういうふうに藻場が再生できるのか、海の生態系の変化などを調査中です。

〈難波〉活動の中で苦しかったことはありますか。

〈徳永〉昨年9月、台風14号で被害を受けたカキを養殖しているいかだをレスキューした時、水深15〜17メートルを行ったり来たりして、水圧の変化で耳の鼓膜が破れてしまいました。すぐ回復すると思っていましたが、2カ月近く片耳が聞こえない状態で過ごしました。

〈難波〉その時の海の状況を教えてください。

〈徳永〉海底に厚さ30、40センチほどのヘドロがたまっていました。着地してしまうと、ヘドロが舞い上がって前が見えなくなります。そんな悪条件の中、作業しました。

〈岩本〉細島湾にはいかだ養殖をしている漁師がいます。そのうちの一人は竹で作ったいかだでヒオウギガイを養殖していました。そのいかだが海底でアスレチックのジャングルのように立体的に重なり合い、その中で籠がぶら下がったり絡まっていました。それを視界が悪い中、ナイフで切ってバラして、引き揚げました。

−−リスナーの皆さんに伝えたいことはありますか。

〈岩本〉私はとにかく日向の海が好きです。日向の海が好きで移住する人も多いですし、日向の人も地元の海が好きだと思います。自然と人がうまく共存している日向の海の状態を今の豊かなままの状態で持続させていけるように、みんなで一緒に取り組んでいけたらいいなと思います。

〈徳永〉現在では、アサリを取ったり小魚を追いかけたりする光景が見られなくなりました。また、コロナ禍もあり海水浴場を訪れる人が少なくなっています。
子どもたちにはきれいな海で育ってほしいですし、活動を通して昔の海に近づけることができたらと思っています。

〈難波〉岩本さんのインスタグラムに書かれていた言葉を皆さんに紹介します。
「人間が何か一つ手を加えたら、その後も手を加え続けないと、人間は自然からの恵みを失い、さらに自らを危機にさらします」
その通りです。それを私たちは知って生活していく。好きだからこそ続けていかなければいけない。それが、この星に住む私たちの責任だと思います。
(おわり)

□第28回の内容□
〈テーマ〉「スポーツ×SDGsみんなで共に取り組むサステナビリティ」
〈ゲスト〉旭化成柔道部監督の吉田優也さん
〈放送日〉7月20日午後1時から
〈再放送〉7月27日午後8時から、同30日午前11時からの2回

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