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人々が集う町、豊かな歴史−延岡市大貫町

本紙掲載日:2020-06-22
6面

 延岡市大貫町は市役所や市立図書館のある中心市街地の近くに位置するが、1955(昭和30)年に延岡市と合併するまでは、東臼杵郡南方村だった。

 貝塚としては県内最古級の「大貫貝塚」やさまざまな言い伝えがある「ガンガン石」など旧跡が数多く、郷土史好きにも魅力的な地域。現在は1〜6丁目で構成され、延岡合同庁舎、延岡保健所、延岡運転免許センターなど重要な公共機関を多く有する。町内の主な場所を紹介する。


◆食と観光の拠点−あゆやな、かわまち交流館

 延岡の秋の風物詩「あゆやな」。大瀬大橋下流には、日本一の長さを誇る「延岡水郷鮎(あゆ)やな」が毎年架設され、多くの観光客でにぎわう。

 「あゆやな」は、木材を組み合わせた「うま」を川の中に並べて立て、「落て簀(す)」と呼ばれる竹のすのこに落ちたアユを捕る漁法。産卵のために川を下るアユの習性を利用している。

 やな漁の期間だけ仮設されていた食事棟の場所に、2018年4月、食の拠点施設「かわまち交流館」が新設された。秋にはあゆやなの食事所、それ以外の季節には延岡の食材や料理人を生かすイベント、食を通じた市民交流の場として利用できる。

 また、今年は新型コロナウイルスの影響で中止となったが、毎年7月末に開かれている「まつりのべおか」の花火大会では、対岸(古城町)から打ち上げられる花火を正面から見られるため、同館周辺の河川敷は人気のスポット。屋台が立ち並び、多くの見物客でにぎわう。

 昨年7月には「かわまちバーベキュー広場」が完成した。事前に区画を予約すると、1区画(100平方メートル)500円、自前の道具と食材でバーベキューを楽しむことができる。



◆朝日たださす…−130年の伝統、延岡小

 児童は延岡小学校に通う。1889(明治22)年に延岡尋常小学校として創立され、昨年10月、130周年を迎えた。延岡大空襲による全焼、移転などを経て、1973(昭和48)年から現在の場所に校舎を構える。

 35年まで併設されていた延岡高等小学校を卒業した歌人若山牧水の他、柔道家の磯貝一、日本初の民間パイロット後藤勇吉ら、著名な卒業生を輩出している。

 「朝日たださすあがたなる」で始まる1番のみの校歌は、02(明治35)年制定。5代目校長で、牧水の恩師でもある日吉昇氏が作詞したもので、県内の学校で最も早くできた校歌だといわれている。

 現在は406人の児童が在籍。元気に学校生活を送っている。掃除の時間に見られる、両膝を突いて1人50センチほどの幅を横に移動しながら拭く雑巾掛けは「延小拭き」と呼ばれ、同校の伝統になっている。



◆日本代表も市民も活用、市民体育館−間もなく建て替え

 青い屋根が印象的な延岡市民体育館。スポーツ大会やイベントなど多目的に活用され、訪れる年齢層も幅広い。

 建設は1979(昭和54)年8月。同年10月に県内で初めて開催された「国民体育大会」と92(平成4)年の「宮崎総体」(インターハイ)では競技会場となった。

 2008年12月には延岡市舞野町出身の立行司内田順一さんの「木村庄之助襲名」、18年12月には東関部屋の延岡合宿10周年を記念した「大相撲延岡巡業」の会場にもなり、会場外に色とりどりののぼりが立ち、地域一体となって盛り上がった。会場は多くの客でにぎわい、熱い声援が送られた。

 また毎年8月には、旭化成柔道部が主催する「夏季合宿」の会場になる。1547平方メートルのアリーナに敷き詰められた畳の上で、強豪の実業団や大学の選手、多い時で総勢約300人が汗を流す姿は迫力満点。五輪や世界選手権に出場する選手が、最終調整として参加することもあり、毎年各地から見物客が訪れる。

 市民と共に歴史を刻んできた同施設も、6年後の国民スポーツ大会に向け、「新県体育館」として建て替えられることが決まっている。今年度中に別館の解体が始まり、24年度までに、メインアリーナの完成を目指すという。

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