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人々が集う町、豊かな歴史−延岡市大貫町

本紙掲載日:2020-06-22
7面

◆延岡入り最初の宿陣跡−西郷隆盛、山内家に8泊

 大貫神社から西に約150メートル進むと、1877(明治10)年の西南戦争で、西郷隆盛が延岡入りして最初の宿陣跡が見えてくる。

 薩摩軍は熊本での戦いに敗れ敗走。人吉に約1カ月滞在した後、小林、宮崎、高鍋、美々津と宮崎県内を北上。延岡入りしたのは8月2日だといわれている。

 宿陣したのは、大貫村の戸長(こちょう)だった山内善吉氏宅。到着した34人の薩摩軍は「当分家を空けるように」と命じた。その直後、かごに乗った西郷が訪れ、8泊したという。60人ほどの護衛隊は、山内家の周辺に分宿した。



◆「たたくと雨が降る」巨石信仰の跡か−ガンガン石

 4丁目の中心に近い五つの道が交差する場所に鎮座するガンガン石。

 木片や石でたたくと、ガンガンと音が鳴ることから、「ガンガン石」と呼ばれるようになった。「石をたたくと雨が降る」という言い伝えから、日照りが続いた際に参拝。石をたたいて雨乞いをしていた時代もあったという。「雨が降る前には勝手に鳴り出す」との言い伝えもあるとか。

 1913(大正2)年と25年に県内の古墳を調査した考古学者の鳥居龍蔵博士は「一見自然の岩のように見えるが、1巨石の上に他の巨石を積み重ねているから、これは人為的になったものと思われる。これを村人が古くからガンガン石と称するのは、それが揺れて音を発するからであって、これは上に巨石を人為で置いてある証拠である。さればガンガン石はまさしく巨石遺跡として見るべきものである」と記している。



◆住宅地に古墳9基−南方古墳群大貫支群

 国指定史跡の南方古墳群のうち、大貫支群には第24〜31、39号の計9基があり、そのすべてが、大貫中区公民館の北側周辺、5丁目にある。

 中でも第24号墳は、横穴式石室を持つ直径約21メートル、高さ4・2メートルの大きな円墳。民家の敷地内にあるため、住民から許可を頂き、中に入らせてもらった。

 長さ2・7メートルほどの羨道(せんどう、またはえんどう)を身をかがめて進むと、遺体を収める「玄室」がある。高さは2メートル以上あり、見上げると大きな石がきれいに組まれている。

 この古墳は、台風によって墳丘上にあったシイの大木が倒れ、一部が崩壊。そのため、1978(昭和53)年に修復、復元工事が行われたという。その際、矢尻の破片などが出土した。管理している住民は「昔は木が埋まっていて、反対側から出入りしていた」と懐かしそうに話した。

 南方古墳群の調査は、江戸時代後期、延岡藩主の内藤政韶(まさつぐ)公によるものが最初であり、その時に調査したのが、大貫町の古墳だったという。



◆県内最古級の貝塚−延岡地方最初の集落か

 大貫中区公民館から北へ坂を上ると「大貫貝塚」があり、標柱が立っている。

 今から1万〜4千年前の縄文早期から前期のもので県内最古級。このことから「延岡地方で最初にできた集落ではないか」と推定されている。

 最大で60センチほどの貝層が見つかっており、出土品はハマグリ、カキなどの貝類、鳥獣魚骨、石器や縄文土器片など。貝層は東西37メートル、南北10〜13メートルで、地表下約40センチの深さにあるという。

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