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初代からの図案を初公開−相馬羊堂紅渓石硯展

本紙掲載日:2022-05-30
7面

6月11〜15日、カルチャープラザのべおか

◆歴代硯師それぞれの個性光る

 延岡市北川町産の紅渓石(こうけいせき)から硯(すずり)を作り出す硯師の3代目で、県指定伝統工芸士だった相馬羊堂(ようどう)=本名・展夫=氏(享年68)の没後20年を来年に控え、妻の照子さん(79)は、長年大切に保管してきた歴代硯師の作品図案を公開することにした。6月に同市で開く作品展で初披露される。

◇3代目の妻照子さんが保管

 図案の一部は羊堂氏の師匠で2代目の崎川羊堂(1899〜1964)が亡くなった後に遺族から譲り受けたもので、その中には初代の原口梅羊(1875〜1944)から引き継がれたデザイン画も多く含まれていた。

 夫の羊堂氏は独創性を大切にしていたため歴代師匠の図案を見ることはなく、照子さんも特に気には留めないまま保管。羊堂氏が逝去後に本人が残したデザインを含めて整理しているうちに、「もしかしたら作品以上の価値があるのかもしれない」と思うようになったという。

 延岡市文化課の協力も得てファイルにまとめたという図案の数々からは、紙が経た歳月とともに、着想から製作までを手掛ける作家であり職人としてのこだわりとセンスが感じられる。完成形を意識した彫刻デザインの緻密さは圧巻で、歴代硯師それぞれの個性が光る。

 特に3代目羊堂氏は原口梅羊、崎川羊堂の技術を引き継ぎつつ、ふた付き硯や香炉、文鎮、オブジェ、レリーフなど、作品づくりの幅を広げて独創性を高めた。その父の傍らで腕を磨き、2003年に4代目を継いだ次男周二さん(49)の繊細で洗練された図案も展示される。いずれも時代とともに変化してきた紅渓石硯の系譜とも言える貴重な資料だ。

 作品展「硯とデッサンと」は、6月11日から15日まで同市本小路のカルチャープラザのべおかで開催。入場無料で、開場は各日とも午前9時〜午後7時。

 照子さんは「主人(羊堂氏)は地元延岡にこそいい物を残したいと、石と向き合っていました。見てくださる方にどう受け止められるかは分かりませんが、本人は喜んでくれるのではないでしょうか」と話し、来場を呼び掛けている。


◇初代・原口梅羊(1875〜1944、本名・実五郎)
延岡市新小路に生まれ、18歳で上京して宮内省御用掛、内海羊石の下で修行後、延岡へ帰って紅渓石を用いた硯の製作を開始した。作品数は少ないものの名品が多く、「松寿万年」「地竜旭日」などは献上品として買い上げられ、共進会や博覧会などにも出品して高い評価を受けた。

◇2代目・崎川羊堂(1899〜1964、本名・進)
延岡市春日町に生まれ、1915年に梅羊に入門。24年に下関赤間硯組合指導員となり、下関市の依頼で瑞典皇太子、内藤家の依頼で秩父宮妃殿下、宮崎県知事の依頼で義宮殿下への献上品を製作した。帝展、文展、日展、日本工芸展などに入選し、56年に延岡市文化功労者、62年には県文化賞を受賞。

◇3代目・相馬羊堂(1934〜2003、本名・展夫)
日向市に生まれ、1950年から崎川羊堂に師事。64年に羊堂を襲名した。日本伝統工芸展、西部工芸展入選など数々の美術展で受賞・入選。福岡玉屋、東京日本橋の小津画廊での個展、日本橋高島屋での展示会は大きな反響を呼び、84年に県伝統工芸士、86年に延岡市文化功労者、2001年に市無形文化財保持者に選ばれた。

◇4代目・相馬羊堂(1973〜、本名・周二)
延岡市松原町に生まれ、延岡高校を経て、熊本工業大学を卒業した1996年から父羊堂に師事。伝統の重厚さの中に新鮮な感覚を備えた作品は早くから評価を受け、99年に日本伝統工芸展七部会で文化庁長官賞を受賞するなど、同展や西部工芸展で数多くの入選歴を持つ。


◆北川町産の赤石が素材

【紅渓石硯】延岡市北川町の源歳木山(げんさいきやま)から切り出される美しい赤石を使って作られている。同赤石はきめが細かく、硯の素材として理想の原石と言われ、色合い、石質が中国の端渓石に匹敵することから紅渓石と名付けられた。
紅渓石硯の歴史は安政年間(1854〜59)ごろ、甲斐国(山梨県)の徳蔵という修験者が延岡市北川町八戸の河原で見つけた赤石で硯を作り、これに着目した延岡藩家老穂鷹久道が配下の川原新蔵に硯を作らせて大阪へ輸出したのが始まりとされる。
明治維新の後も硯の製作は続けられたが、紅渓石硯の名声の基礎を築いたのが原口梅羊だった。梅羊の技術は2代目崎川羊堂、3代目相馬羊堂へと引き継がれ、現在では4代目相馬羊堂さんが伝統を守っている。(参考文献=三代目・四代目硯師相馬羊堂作品集「石と語る」)

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