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記紀ゆかりの地を訪ねて−鹿児島

本紙掲載日:2019-06-19
7面

日向神話研究会と延岡観光協会−鹿児島視察同行記

◆日向神話のもう一つの舞台

 鹿児島空港に近い霧島市溝辺。高屋山上陵は、杉木立に囲まれた標高400メートルほどの山内にあった。遠くに桜島が白くかすんでいる。

 ほとんど訪れる人はおらず、「団体客を案内するのは2回目」と霧島市観光ガイドの隈元孝子さん(71)。「観光地というよりもパワースポットでしょうか」。

 案内板によると、ホオリノミコトの御陵は古事記では「日向の高千穂山の西」、日本書紀には「高屋の山に葬る」とされている。高屋山上陵は広さ約5万3千平方メートル。鳥居と柵で仕切られた御拝所の約60メートル上に円墳が築かれているという。

 夕方に訪れたせいか、鳥の鳴き声すらしない薄暗い山内がむしろ陵墓の神秘性を高めていた。

           ▽          ▽

 吾平山上陵は、大隅半島のほぼ中央、周囲を山に囲まれた自然豊かな地にあった。姶良川支流沿いに続く玉砂利の参道は、伊勢神宮に雰囲気が似ていることから「小伊勢」とも呼ばれ、神話の舞台にぴったりの雰囲気を醸し出していた。

 「御陵墓の認定には明治政府の要職にあった大久保利通の関与が強かったとされている」と観光案内人の前村悦子さん(68)。「吾平山上陵は最初からぶれなかったが、可愛山陵、高屋山上陵は場所が違うという説もあった」と続けた。

 全国でも珍しい岩屋の陵墓には、神武天皇の父ウガヤフキアエズノミコトと母タマヨリヒメが眠るとされる。神武天皇東遷の際、無事を祈る妻のアイラツヒメ(アイラヒメ)に「両親の墓をこの地に」と言ったと伝わる。

 「神武天皇は日向市美々津からお船出されたといわれるが、それは違う。最初の出港地は柏原海岸。そこから美々津、宇佐と寄港した」と前村さん。

 吾平山上陵には、昭和10(1935)年に昭和天皇、同37(1962)年には当時の皇太子ご夫妻(上皇ご夫妻)が参拝されている。

 こうした皇室との絆が、神話の解釈に自信を持たせているようでもあった。

◇神武天皇お船出の地

 神武天皇お船出の地と伝わる柏原海岸は、大隅半島の東、志布志湾に面した東串良町にある。

 クロマツの林を抜けた先に「神武天皇御発航伝説地」の記念碑。航海安全を祈って創建され、約千年前にこの地に移されたとされる戸柱神社が近くにあった。

 東串良郷土誌によると、神武天皇は現在の肝付町にあたる高山町野崎でお生まれになり、柏原の港より船出したと伝えられている。旧暦3月10日は出港の日和見をした日とされ、たこ揚げやだんごを作るなどの風習があった。吾平山上陵に参拝する人も多かったという。

 「記念碑は皇紀2600年を記念して建てられているが、神武東遷に関する詳しいことは分かっていない」と東串良町社会教育課の大彩係長。潮騒の届かない場所に建つ記念碑を眺めつつ「日向市美々津町のように、海に向かって記念碑があればイメージしやすいのだが…」と話した。

          ▽          ▽

 鹿児島湾奥部の霧島市福山町。宮浦神社の境内に並び立つイチョウの大木は、神武天皇東遷前の仮の宮居であったことを記念して植えられたと伝わる。県の文化財に指定される現在のイチョウは2代目という。

 境内には「神武天皇御駐蹕伝説地宮浦」の石碑。駐蹕(ちゅうひつ)とは、行幸の途中で一時乗り物を止めるという意味。皇紀2600年を記念して昭和15年に建てられた。

 「神武天皇は高原町の狭野神社でお生まれになったと伝わるが、ここからどこに向かわれたのか神話を詳しく知る人はいない」と宮司。

 おぼろげな伝承を知るのは樹齢千年を超すと言われるイチョウだけだろうか。振り返ると、桜島の尾根が白くかすんで海に消えていた。

          ▽          ▽

 日向神話研究会は、天孫降臨の地を高千穂町としつつ、霧島説も尊重しながら共に日向神話を観光につなげようと活動している。

 有留会長は「政治にまつわる歴史が閉じていきつつある現状を見た思いがする。県北の神話観光については、おごらず、子どもたちに丁寧に伝えていきたい」。延岡観光協会の谷平会長は「日向神話を観光の核と位置付け、高千穂町に訪れる年間100万人超の観光客を延岡市まで引き込みたい」とそれぞれ話した。

 また、日向市観光協会の松葉藤吉会長は、神武天皇お船出の地などの日向神話について「身近で説得力のあるストーリーを構築していきたい」と話していた。

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