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三秀台に平和の鐘響く−五ケ所で祈念祭

本紙掲載日:2023-08-28
3面
祈念碑に献花し、合掌する参列者(26日、五ケ所高原三秀台ひめゆり公園)
参列した地元出身の子どもたち

高千穂の山中に墜落−日米の兵士を慰霊

◆町内外から参列−在日米軍の将校も

 太平洋戦争の終戦前後の1945年8月に高千穂町の山中に相次いで墜落、死亡した日米両国の空軍兵士を慰霊する「第27回五ケ所平和祈念祭」が26日、五ケ所高原三秀台ひめゆり公園であり、心地よい風と厳粛な空気に包まれた式場に恒久平和を願う鐘の音が響いた。主催は同祈念祭奉賛会(武田計助会長)。

 祈念祭は戦後50周年を迎えた95年、公園内に「平和祈念碑」が建立されてから毎年行われている。今年は町内外から約30人が参列して1分間の黙とうをささげ、地元出身の小中学生ら4人が、殉職者数に準ずる13回の鐘を鳴らした。

 続けて、正念寺(吉村順正住職)の吉村礼応副住職(27)と吉村ヴィクトリア坊守(53)の読経に合わせて1人ずつ菊の花を献花。祈念碑に設置された遺影を前に合掌し、哀悼の意を表した。

 来賓を代表して、高千穂町企画観光課の安在浩課長が甲斐宗之町長の式辞を代読した後、西部方面総監部在日米陸軍連絡将校のジョシア・ガイガー少佐(38)が「軍人の最も大切な役割は戦争を未然に防ぐことだと考えるが、軍人にできることには限界がある。このような催しを通して、ともに平和を促進しましょう」とあいさつ。熊本県の高森東義務教育学校に通う吉村悠萌さん(14)が追悼作文を読み上げた。

 奉賛会によると、最初の墜落事故が起きたのは45年8月7日。夜間訓練飛行中だった日本の戦闘機「隼(はやぶさ)」が河内地区の山中に落ち、搭乗していた徳義仁軍曹(当時21)=東京都出身=が亡くなった。

 同年8月30日には、救援物資を運搬していた米軍爆撃機「B29」が町内の親父山(標高1644メートル)に墜落し、機長のヘンリー・ベイカー大尉以下12人の搭乗員が命を落としたという。

 2件の墜落事故は87年9月、奉賛会事務局の工藤寛さん(69)=宮崎市在住=が親父山付近を登山中、B29の残骸を発見したことがきっかけで明らかになった。当時会長を務めていた「県北の自然を語る会」の会員らと5年がかりで調査。遺品収集などを続ける中で日本軍機の墜落を知り、遺族を探し当てた。

 92年には五ケ所地区の有志らと「平和の祈念碑建設発起人会」(甲斐秀国会長)=当時=を結成し、祈念碑建立を町に陳情するなど奔走。その後も調査は継続しており、この日は、今年3月に行われたB29の残骸回収作業を含む近況報告が工藤さんから語られた。

 武田会長(88)は「これから先もずっと平和でいたい。戦争を知らない若者に、私たちの経験と『絶対に戦争をしてはいけない』という思いを語り継ぐため、五ケ所高原から恒久平和の鐘を鳴らし続ける」と話した。

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