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含羞詩人・高森文夫をしのぶ−日向市東郷町出身

本紙掲載日:2023-01-25
3面
高森文夫詩碑祭(22日、日向市東郷町)
高森が作詞した校歌を斉唱する東郷学園の児童

2年ぶり、顕彰会が詩碑祭−道の駅とうごう

◆東郷学園の児童が献花

 日向市東郷町出身の詩人・高森文夫を顕彰する第4回詩碑祭が22日、同町山陰の道の駅とうごう内に立つ詩碑の前であった。主催の高森文夫顕彰会(福良信一会長)の役員や会員、来賓の十屋幸平市長、黒木高広市議会議長らが出席し、郷土が生んだ詩人をしのんだ。詩碑祭は、2年ぶりの開催。新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、今年も規模を縮小して実施した。(6面に関連記事)

 最初に東郷学園の児童が詩碑へ献花し開会。続いて、東郷まちづくり協議会の畝原裕子副会長が詩碑に刻まれた「冬薔薇(ふゆそうび)」の詩文を朗読した。

 主催者あいさつで福良会長は「来年こそは多くの皆さんに参加をいただき、盛大な詩碑祭にしたい」と話し、同道の駅にある東郷公民館(さくら館)内に開設した高森文夫コーナーを紹介。「高森先生の詩人としての足跡、功績を学ぶことができると高評価を受けている。一人でも多くの皆さんを案内できるよう努力し、顕彰の輪を広げていきたい。身近な人たちに来場を働き掛けてほしい」と呼び掛けた。

 来賓の十屋幸平市長は「歌人・若山牧水の顕彰と共に、郷土が誇る文化人として高森文夫さんの顕彰活動を支援していきたい」と話したほか、黒木高広市議会議長、日向若山牧水顕彰会の那須文美会長が祝辞を述べた。

 最後に高森文夫の母校である東郷学園(当時は東郷小学校)の5、6年生15人が高森が作詞した同校の校歌を斉唱した後、高森の詩「惜春」(せきしゅん)をCDで流し、郷土の偉大な詩人に思いをはせた。

【プロフィル】高森文夫(たかもり・ふみお)
1910(明治43)年、東郷町生まれ。旧制延岡中学校から成城高校、東京大学仏文学科に進学。卒業後は、母校の延岡中学で教壇に立った後、39年に中国東北部(旧満州)に渡り満州映画協会に入社し、映画制作に携わった。
現地で応召後、シベリア抑留を経て、帰還後は延岡市教育長、東郷町教育長、東郷町長などの要職を歴任。98(平成10)年に88歳の生涯を閉じた。
高森は幼少より文学に熱中。文学への造詣が深く、本格的に詩の世界に踏み込んだ昭和初期、当時の詩壇から叙情派の詩人として、その才能を高く評価され、含羞(がんしゅう)の詩人と呼ばれた。多くの詩歌を残し、37年に第1詩集「浚渫船(しゅんせつせん)」、68年に第2詩集「昨日の空」、90年に全詩集「舷灯(げんとう)」を出版。浚渫船は「中原中也賞」を受賞した。東郷小(現東郷学園)や坪谷小、富島高、日向高など、県内16校の校歌を作詞し、現在も歌い継がれている。

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