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西南戦争・細島官軍墓地に眠る「官軍少佐迫田鉄五郎」

本紙掲載日:2023-08-25
3面

延岡史談会第2回公開講演会/講師・日向市歴史民俗アドバイザー緒方博文さん

◆西郷隆盛と同じ郷中、幼なじみ・同郷の薩軍と戦い可愛岳で戦死

 明治10(1877)年8月18日、延岡の和田越での決戦に敗れた西郷軍600人は可愛岳を敗走。相対した政府軍(官軍)では、同じ薩摩出身の迫田鉄五郎少佐が戦死した−−。西郷軍ではなく、迫田の視点から西南戦争を考える講演会が先月23日、延岡市であった。

 延岡史談会(甲斐典明会長)が第2回公開講演会として行ったもので、講師は日向市歴史民俗アドバイザーの緒方博文さん(67)=元同市教委文化財担当学芸員=。迫田の遺体は同市細島の官軍墓地に葬られている。緒方さんは、迫田の遺品が日向市に寄贈された経緯のほか、直接の死因について、公的記録とも遺族に伝わる話とも違う説があることなどを話した。

 迫田は1850年、西郷と同じ下加治屋町に生まれ、幼い頃は西郷のひざの上で遊んでもらっていたという。

 戊辰(ぼしん)戦争後に陸軍に入隊。77年2月、西南戦争が勃発すると、東京鎮台第1連隊士官として九州出兵(当時の階級は大尉、4月に少佐に昇任)。熊本・高千穂・日之影・延岡行縢を転戦。可愛岳で戦死した時、満27歳だった。

◇坂本龍馬の遺品ピストル−細島のみなと資料館に展示

 明治維新の立役者の一人、坂本龍馬とも親交があった。遺品は貴重なものばかり。遺族から「寄贈したい」と電話を受けた緒方さんが、鹿児島県の黎明(れいめい)館に問い合わせると、「官軍だった人の遺品はいらない」との返事。西郷から贈られた書5軸だけが黎明館に受け入れられ、龍馬からの手紙は、龍馬の故郷高知県の土佐山内家宝物資料館(現高知城歴史博物館)へ。軍服、徽章(きしょう)、拳銃が日向市に贈られた。

 拳銃は、慶応2(1866)年の寺田屋事件で、龍馬が使ったものという。「遺品を受け取りに行った当時の係長が、これを手荷物に入れて飛行機に乗り込もうとしたため大騒ぎになった」と緒方さん。現在、この拳銃を含む迫田の遺品は、細島みなと資料館で展示されている。

◇死因公的、遺族の話とは違う説も

 迫田の死因については、流れ弾が額に当たったと記録されているが、迫田家には「後頭部を撃ち抜かれた」と伝わる。さらに、西郷軍の辺見十郎太の子孫には、この2説とも異なる話が伝わっている。

 緒方さんは、日向市にサーフィンに訪れていた辺見の子孫に偶然会い、次のような話を聞いたという。

 「可愛岳突破の際、辺見十郎太は前軍を率いて可愛岳を祝子川方面に向けて下っていた(西郷は後ろの中軍にいた)。すると、敵の陣地の中に、自分が一緒に学んだ、3歳下の迫田鉄五郎が見えた。辺見は刀を抜き、『お前ごとき者に何ができるか』と言って斬りつけた。うずくまり、苦しそうにしている迫田を見て、辺見はそばの者に『介錯(かいしゃく)してやれ』と言い、その者が、後頭部へ1発撃って絶命させた」−−。

 緒方さんは、日本陸軍に薩摩流の白兵戦を教えたのも薩摩人であり、西南戦争は「古い薩摩」と「新しい薩摩」の戦いだったことや、迫田が、故郷の幼なじみと戦わなければならなかった悲劇を伝えた。

◇9月10日に第3回講演会

 延岡史談会の第3回公開講演会は、9月10日「延岡上空B29撃墜と戦後の戦犯捜査をめぐって」(講師・渡邉斉己さん)、第4回は11月19日「故郷の山に埋もれた歴史を掘り返す」(講師・工藤寛さん)。いずれも午後2時から延岡市社会教育センターで。受講は無料、資料代200円。

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