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井上城と愛宕山のお膝元−物語豊かな文教のまち

本紙掲載日:2021-08-31
6面

延岡市愛宕町、恒富町、古城町、大瀬町、新小路、西小路

 延岡市恒富地区の一部、愛宕町、恒富町、古城町、大瀬町、新小路、西小路を訪ねた。

 観光地としても人気の愛宕山、秋の風物詩あゆやなが架かる大瀬川など豊かな自然の近くに位置しながら戦後発展し、現在は住宅が立ち並ぶ。また、県立延岡病院や県の出先機関が入る延岡総合庁舎、2006年3月に東本小路から移転した延岡警察署など、県北の中心的な役割をする機関も多く位置する。地域の人たちが大切にしてきた歴史や伝統、主な場所を紹介する。



◆伏流水と県産米で酒造り−千徳酒造(大瀬町2丁目)

 県内で唯一の日本酒専門蔵。五ケ瀬川の伏流水と県内産の酒米にこだわった酒造りをしており、12月に行われる新酒の仕込みは季節の風物詩。

 現在の所在地が恒富村新小路と呼ばれていた1903年、地元有志が出資して設立した「恒富酒造合資会社」がルーツで、当時は日本酒としょうゆを造っていた。44年にしょうゆ製造をやめ、日本酒一本に。時代と共に延岡酒造、日向酒造と屋号を変え、現在名になったのは61年。

 門田賢士社長は7代目。先代の田丸眞さんの信条「人さまが口にする物。真面目に、正直に造りなさい」を守り続けて、熊本国税局の鑑評会では優等賞、全国新酒鑑評会では金賞を毎年のように獲得。大吟醸、純米大吟醸といった定番商品の他、日本酒をベースにしたリキュール、米こうじを使った甘酒など幅広い商品をそろえる。


◆五月のぼり作りの老舗−吉井染工場(大瀬町2丁目)

 「吉井染工場」は寛永年間(1624〜44年)創業の老舗染物店。藩政時代は、延岡藩御用達の店だった歴史を持つ。

 五月のぼりの専門店であり、毎年初節句に合わせて県内外から入る注文に応じている。

 年季が入った建物は、戦前の1930年ごろに完成。延岡大空襲で2階に焼夷(しょうい)弾が落ちたが、すぐに消火した。周囲の建物が被害を受ける中、大事に至らなかったという。

15代目の吉井汪代表(69)は、同家の長男として高校卒業後から携わる。当時の染料は色止めを塗る必要があったが、石油製の染料に変わり「手間が3分の1になった」。それでも1枚作るのに2週間を要するという。先代の父親を見て覚えた伝統的な「筒引手染め」で今も作っている。

 神社ののぼり、飲食店ののれんなども手掛ける。晴れて風の穏やかな日を見計らい、庭で作業している。


◆SLを大切に展示保存−大瀬町児童公園(大瀬町2丁目)

 大瀬町児童公園は「SL公園」の愛称で親しまれている。シンボル的存在のSL(蒸気機関車)が設置されたのは1974年。旧国鉄の小倉工場で40年に造られた「D51型485」で通称「デゴイチ」。日豊本線の南延岡―大分間で貨物列車をけん引し、旭化成の火力発電所に使う石炭などを運んだ。

 34年間で272万キロ、地球68周分を走り引退。同年、旧国鉄から借り受ける形で公園に展示された。「南延岡駅から公園まで、夜中に丸太を敷いて引っ張って運んだ」という逸話も残る。

 設置に伴い、旧国鉄OBらによる「延岡市蒸気機関車保存会」が発足。翌年から毎年10月14日の「鉄道の日」に、清掃やペンキ塗りなどを行った。
2003年には、雨ざらしで老朽化が進んでいたSLを末永く保存しようと、市が雨よけの屋根を造った。

 05年11月、アスベストが飛散する恐れがあるとして、市がSLへの立ち入りを禁止。翌年には、解体撤去する方針が示された。しかし、同市在住だったアスベスト診断士の坂元基雄さんが保存のためのサポーターズクラブを立ち上げ、多くの人が募金に協力。アスベストを除去し、腐食箇所の補修も行った。以後も保存会会員らが中心となり、大切に守り続けている。


◆神話、日向御前、太郎兵衛狐…−多くの物語が伝わる愛宕山

 愛宕山は標高251メートル。頂上付近には市内を一望できる展望台があり、同所からの景色は「夜景百選」「日本百名月」などに選ばれている。

 1601〜03年に高橋元種が縣=あがた=城(延岡城)を築いた際、城山にあった愛宕神社をこの山に移したことが名前の由来と伝わる。

 1961年に展望台ができると売店も営まれ、大勢の人でにぎわった。しかし85年に無人になると老朽化、登山道も狭かったことから、93年に再整備に着手。約1・8キロの登山道を整備し、2000年には、展望台に屋根が付けられ、リニューアルした。今は多くの市民が健康のために登り、春は花見をするなどして親しんでいる。

 徳川家康のひ孫で有馬直純の妻の日向御前が、女人禁制を破って女性として初めて登ったという逸話や「伊達稲荷大明神」の使いの太郎兵衛狐(たろべえぎつね)がこの山の柞ケ谷(いすがたに)にすんでいたという民話が残る。

 また、古名は「笠沙山」だったと言われていることから、天孫ニニギノミコトが妻のコノハナサクヤヒメと出会った「笠沙の岬」はここだとして、近年では「出逢(あ)いの聖地」としてもPR。公園の名称は今年の7月2日に「愛宕山笠沙の御碕公園」と変更された。

 神社は、麓から愛宕神社、生目神社、御手洗水神社、極天(ごってん)様=愛宕神社奥の院=がある。


◆恒富用水路の開削者−矢野喜左衛門(恒富町1丁目)

 恒富町公民館の敷地内に、同町で生まれ、私財を投げ打って須輪間井堰(すわまいぜき)を築き、恒富用水路を開削した矢野喜左衛門(きざえもん)の頌徳(しょうとく)碑がある。

 建立は戦前の1937年3月。現在も恒富町が主催し、田植えの終了を祝う「さのぼり」に合わせて毎年祭りを開き、遺徳をしのぶ。

 喜左衛門は、藤江監物や江尻喜多右衛門(きたえもん)が整備に尽力した岩熊井堰と出北用水が完成した後も灌漑(かんがい)が及んでいない地域の不遇な状況を藩庁に訴えて援助を請い、井堰と用水路の設置を計画。藩の許可を得て工事に着手し、1773年に完成させた。恩恵を受けた地区は、古城、本村、下出口、伊達、浜、平原、惣領、浜砂の8村落にわたった。

 このような功績から、用水路開削に命を懸けた延岡の先賢8人の一人として、監物らと共に出北観音堂に合祀(ごうし)されており、毎年旧暦の8月17日ごろに慰霊祭が行われる。


【瀬戸石川と瀬戸橋の石碑】(愛宕町3丁目)
瀬戸石川は愛宕山から北麓を下り、浜川に注いでいた。太郎兵衛狐が、村人たちと魚釣りなどをして交流したと伝わる。道路整備のために地下溝となり、瀬戸橋も撤去されることを知った民話の語り部や地域住民の陳情により、1995年に設置された。横に、瀬戸橋の標柱も展示されている。県指定史跡延岡市古墳(第5号墳)のそばにある。

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