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「愛国の作曲家」明本京静

本紙掲載日:2022-05-06
6面

伊能秀明さん、執筆の連載を収蔵−延岡市立図書館

 本紙への寄稿も多い法学博士の伊能(いよく)秀明さん(68)=東京都板橋区在住=が、青森県の地域紙「津軽新報」に連載した「昭和楽壇の奇才明本京静−その出生から終戦まで−」が、延岡市立図書館に収蔵され、閲覧、貸し出しが可能になった。

 明本京静(あけもと・きょうせい、1905〜72)は、青森県黒石町(現黒石市)生まれの作詞、作曲家でテノール歌手。作曲家としては「甲斐の山々陽(ひ)に映えて」で始まる「武田節」(米山愛紫作詞)や戦時中にヒットした「父よあなたは強かった」(福田節作詞)が広く知られる。

 1944(昭和19)年には日本製鉄輪西製鉄所(北海道室蘭市)の総決起進軍歌「われらの誓ひ」に作曲した。作詞は伊能さんの祖父で、当時同製鉄所所長だった泰治(たいじ)さん。作曲した本人と、「うたのおばさん」として知られた安西愛子(1917〜2017)の歌唱でレコードが吹き込まれた。伊能さん方には、このレコードが残っているという。

 この縁から伊能さんは明本について調査。音楽活動の軌跡をたどるとともに、「われらの誓ひ」の作曲がなぜ同氏に託されたか、その謎に迫った。

 連載は21(令和3)年1月21日から12月30日まで週1回、全50回に及んだ。

 「武田節」や「父よ…」が誕生した経緯はもちろん、恩師近衛秀麿との出会い、NHK朝の連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルとなった古関裕而や明本と同郷の作曲家・上原げんと(美空ひばりの「港町十三番地」などがヒット)らとの交流、わだかまりといったエピソードも豊富。「軍需品としての音楽」という重いテーマも扱っている。さらに、恩師の近衛が作曲した延岡高校校歌制定のいきさつにも触れている。

 延岡市立図書館では、津軽新報に掲載された記事の切り抜きを台紙に貼り付け、A4サイズの多穴リングバインダーに収めて、読者に供している。蔵書数は1冊。

◆「読者の皆さんへ」−伊能秀明

 令和2(2020)年10月初め、青森県黒石市を旅しました。ここは弘前市の東北に当たり、雄大な岩木山を望むリンゴの名産地です。

 実は7、8歳ごろ、意味も分からないままレコードを聞き、唄(うた)った歌がありました。のちに祖父・泰治から「戦時中、所員の元気づけに詞を書いた」と明かされました。祖父は、北海道・室蘭で製鉄所長を務め、鉄鋼増産のために七五調で詞を作り、作曲は黒石出身で全国的に著名な明本京静に依頼。「内浦湾の懐(おく)深み」で始まる勇壮な産業歌が完成しました。歌は明本と「うたのおばさん」安西愛子。印刷譜面とレコードは、私の記憶遺産です。

 拙稿は、資料調査に1カ月、執筆に1カ月を費やし、黒石市の「津軽新報」に1年間連載され、第50回完結。「愛国の作曲家」といわれた明本の誕生から終戦まで楽壇人生を描きました。

 明本は作詞・作曲・独唱の1人3役をこなし、シンガー・ソングライターの草分けです。戦前・戦中は軍国歌謡を多く作り、「国民的作曲家」といわれる古関裕而との共作もあり(第28回参照)、戦後は「武田節」のほか警察歌を多く作りました。勤労青少年の情操教育に合唱指導で貢献、藍綬褒章を受章しました。恩師は世界的な指揮者・作曲家の近衛秀麿。近衛・明本コンビは立命館大学や天理高等学校の校歌を作り、近衛は延岡高等学校の校歌を作曲しました(第20、26、50回)。

 もし明本が、コロナ禍の国難に遭遇したら、どんなメロディーで私たちを元気づけしてくれるでしょうか。あれこれ想像しながら、お読みいただければ幸いです。

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