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改めて平和を祈る

本紙掲載日:2022-05-07
3面
B29搭乗員11人の遺影に手を合わせる慰霊法要の参列者(延岡市山下町の善正寺)
B29搭乗員の慰霊法要に参列した皆さん
延岡上空で撃墜されたB29搭乗員の写真パネル

延岡上空で撃墜されたB29搭乗者11人を悼む

◆善正寺、3年ぶりに慰霊法要−延岡

 太平洋戦争末期に延岡市上空で撃墜された米軍B29爆撃機搭乗員の慰霊法要が5日、同市山下町の善正寺(野中玄雄住職)で執り行われた。

 法要を呼び掛けた航空戦史研究家の深尾裕之さん(大分県)らによると、1945(昭和20)年5月5日、北川町上空で11人が乗ったB29が日本軍機に攻撃され、海に墜落。5人はパラシュート降下して捕虜となったが1人がその日に亡くなり、善正寺の野中豪雄住職(当時)によって手厚く弔われ同寺の墓地に埋葬された。

 福岡の陸軍司令部に送られた残る4人も現地で死亡。野中住職は深尾さんから情報提供の依頼を受けたのをきっかけに、改めて平和を祈る機会にしたいと2019年の5月5日に慰霊法要を行ったが、一昨年と昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響でかなわず、3年ぶりの再開となった。

 この日は深尾さんをはじめとする戦史研究の関係者や善正寺の檀家(だんか)ら約10人が参列。野中住職の読経が響く中、日米の両国旗と搭乗員11人の遺影が立てられた祭壇に手を合わせた。

 遺影とともに、墜落死したラルフ・ミラー機長の孫娘ケイト・ミラーさんから寄せられた手紙も掲示。文中には「私たちは離れ離れではありません。敵同士ではありません。戦争が私たちから何を奪うことができるかを見てきました。これを今、そして数カ月、数カ年先までも思い起こしましょう」とメッセージがつづられていた。

 野中住職はロシアによるウクライナ侵攻などで世界平和が脅かされる中、法要を行えたことは意義深いとし、「一日も早く終息に向かってもらいたい」と祈願。深尾さんもここまで手厚い米兵の慰霊行事は全国的にも珍しいとして、「(戦時中に)各地で不幸な事件が起きたが、遺族はそれらを乗り越えて平和を享受していると認識している」と感謝した。

◆6人は墜落時に、4人は福岡へ送られ死亡−1人は同寺が手厚く弔う

 深尾さんらは米国防省などの記録に基づき、国内の航空戦について調査・記録するとともに、平和活動の一環として、各地で続けられている米軍人の慰霊祭などを発信している。延岡上空で撃墜されたB29爆撃機搭乗員に関する調査結果は次の通り。

 1945(昭和20)年5月5日、福岡県大刀洗町を爆撃した11人乗りの米軍爆撃機B29が、北川村(現北川町)上空で、日本海軍航空隊の戦闘機紫電改12機の攻撃を受けて、延岡沖に墜落。機長のラルフ・ミラー中尉ら6人が死亡した。

 残る5人は北川村―旧延岡市境付近の山林にパラシュート降下して捕虜となったが、瀕死(ひんし)の重傷を負ったクラーク・バセット伍長がこの夜に死亡。遺体は善正寺の墓地に埋葬され、野中豪雄住職(当時)によって手厚く弔われた。

 一方、残るジャック・ベリー少尉、ジャック・デングラー軍曹、メーリン・キャルビン兵卒、アーヴィン・コーリス伍長の4人は、延岡警察署グラウンドで目隠し姿で市民にさらされた後、都農憲兵分隊を経て西部軍司令部に送致。同6月20日に福岡高等女学校校庭で処刑、または九州大学医学部での生体解剖実験で殺害されたとみられるという。

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