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終戦前後に山中に墜落−日米の兵士を追悼
◆在日米軍も参列
1945年8月の終戦前後に高千穂町の山中に相次いで墜落、死亡した日米両国の空軍兵士を慰霊する「第26回五ケ所平和祈念祭」が27日、同町五ケ所の三秀台に立つ平和祈念碑前であった。主催は、五ケ所平和祈念祭奉賛会(武田計助会長、20人)。
戦後50周年となる95年、同所に祈念碑が建立されてから毎年行われている。2019年以降、新型コロナウイルスのために参加者を絞るなど小規模開催が続いていたが、今年は3年ぶりに参加制限を設けない祈念祭となった。
式典には町内外から約50人が参列し、全員で黙とうをささげ、地元の小中学生ら7人が献鐘。晴天の下、心地良い風と厳粛な空気に包まれた式場に恒久平和を願う鐘の音が響いた。
続けて、正念寺(同町上野)の吉村順正住職(64)、吉村ヴィクトリア坊守(52)の読経に合わせて一人ずつ献花を行い、祈念碑前に設置された遺影に手を合わせながら深々と礼拝。
来賓を代表して甲斐宗之町長が「この地から世界に平和への願いを発信する意義を強く感じている」。在日米海兵隊連絡将校フッド・ブラッドリー大尉(32)が「この出来事を忘れず、両国の友情から生まれる明るい未来のため、一緒に頑張りましょう」とそれぞれ式辞を述べ、高千穂中3年の渡邉咲希さん(14)が追悼の作文を読み上げた。
奉賛会によると、最初の墜落事故が起きたのは1945年8月7日。夜間訓練飛行中だった日本の戦闘機「隼(はやぶさ)」が河内地区の山中に落ち、搭乗していた徳義仁軍曹(当時21)=東京都出身=が亡くなった。
同年8月30日には、救援物資を運搬していた米軍爆撃機B29が町内の親父山(標高1644メートル)に墜落。機長のヘンリー・ベイカー大尉以下12人の搭乗員が命を落としたという。
追悼の作文を読み上げた渡邉さんは「悲しいけど遺族の元に魂が届いてほしいと思う。地区内外で祈念祭のことを広めたい」。熊本県の高森東義務教育学校8年(中学2年)の吉村悠萌さん(13)は「こういう出来事が起こらないためにも、戦争はだめということを後世に伝えたい」と感想。
体調不良で参列がかなわなかった武田会長に代わり、式典を執りまとめた甲斐英明副会長(73)は「たくさんの人に来てもらい感無量の思い。これからも継続し、より多くの人に平和の尊さを感じてほしい」と話した。
◆B29の残骸なども展示
2件の墜落事故は現在、奉賛会事務局の工藤寛さん(68)が当時、会長を務めていた「県北の自然を語る会」の会員と5年がかりで調査して詳細が明らかになった。
当初、工藤さんらはクマの生活痕を調査中にジュラルミンなどB29のものと思われる部品を発見。その調査の途中に日本軍機の墜落を知り、遺族を探し当てた。
工藤さんはその後、五ケ所地区の人らでつくった「B29・隼、平和の祈念碑建設推進発起人会」(甲斐秀国代表)=当時=と祈念碑建立を町に陳情するなどした。
式場には、工藤さんが親父山付近で見つけたB29の残骸も展示され、式典後には河内地区の軍人墓地にある徳軍曹の墓参りも行われた。