【お知らせとおことわり】

 夕刊デイリー新聞ならびにYUKAN-DAILY-WEBを
ご利用いただきありがとうございます。

 著作権保護のためWEBブラウザ上からの記事・写真の
ダイレクトプリントができないようになっております。
ご了承下さい。

 サイト内の写真は本紙に掲載されたものですが
本紙掲載分の写真については以下のような規定があります。


 夕刊デイリー新聞社は、本紙に掲載された写真の提供サービス(有料)をしています。

 スポーツで活躍した場面の写真、ステージでの発表会、さまざまな行事で新聞に掲載された写真をご家族の記念に保存されてはいかがですか?

 写真は本紙記者がデジタルカメラで撮影したもので、新聞紙上では白黒でも提供写真はカラープリントです。

写真のサイズと料金は次の通りです。

▽L  サイズ 1枚 300円
▽LL サイズ 1枚 500円
▽A4 サイズ 1枚 1,200円
(A4サイズはラミネート加工もできます。ラミネート加工は500円追加)


L  サイズ
(8.9×12.7センチ)
1枚 300円
LL サイズ
(12.7×17.8センチ)
1枚 500円
A4 サイズ
(21×29.8センチ)
1枚 1,200円
(ラミネート加工は300円追加)

 提供できない写真もありますので、まず、本社にお電話をください。
 掲載日などをお聞きし写真を確認した上で準備します。

 受け渡しは、本社または支社、支局に来社していただくことになります。
 写真によっては提供サイズが限られる場合があります。
 また、事件、事故、災害、選挙、肖像権に関係する写真や本社に版権のない写真は提供できませんのでご了承ください。

 写真は個人的利用に限ります。 印刷物などに用いることはできません。

 写真提供サービス開始とともに、これまでの貸し出しサービスは終了します。


 お問い合わせ、お申し込みは
 本社(電話番号 0982-34・5000、平日は午前9時−午後5時、土曜は午前9時−午後3時)へお願いします。

 

2023延岡花物語(2)−松田庄司さんインタビュー

本紙掲載日:2023-02-03
9面

ふるさとに桃源郷を−河津桜と菜の花植える

◆3年ぶりの祭り−大勢の人に喜んでもらいたい

 五ケ瀬川沿いを彩る河津桜と菜の花は「いつの日かふるさとに桃源郷を」という、県外在住の延岡高校13回生の願いから始まった。託され、活動を続ける同級生の松田庄司さん(80)=コノハナロード延岡市民応援隊理事長=に話を聞いた。

−−なぜ、河津桜だったのでしょうか。

「花がまだない2月に咲く河津桜を植えよう。将来は県外からも観光客が来るような名所をつくりたい」というのが、提案者の高倉雄三(故人、当時横浜市在住)の思いでした。プロ野球のキャンプを見に宮崎へ多くの人が来る。そういう人を延岡まで引っ張って来られたらいいと。2008年2月、高倉が同級生たち4、5人で行った河津桜発祥の静岡県賀茂郡河津町の祭り会場から電話がかかってきて、「素晴らしい。これは延岡でせんといかん」と言われました。

−−なぜ、松田さんが中心になって取り組むことになったのですか。

前年の07年、同級生でシナリオライターの秋田佐知子(本名・幸子)さんの遺作展をやりました。準備に半年かかったけれどたくさん来てくれました。同級生も全国から駆け付け、絆みたいなのができました。それもあってか、「僕ならやるだろう」って(笑)。
話自体は素晴らしいし、「やってみるか」と思いました。動く中で紹介されたのが谷平興二さんでした。話したら感動してくださって、その場で「全面的に協力する」と。

−−その後、本格的に活動が始まりました。

09年3月、延岡アースデイの一環で桜を植えました。その頃は植えたら終わりだと思っていました。桜は自然に育つってね。
そしたら全然違う。5月に市役所から「桜が枯れかかっている。葉っぱが黒くなっている」と電話がきました。来て見たら葉っぱは黒いし、虫が食ってる。ほぼ毎日通うようになり14年です。菜の花を植えてからは、水道設備がないから、仲間の軽トラックの荷台から水をまいたこともあったな。
一番記憶に残っているのは13年8月。その時は雑草も枯れるほど雨が降りませんでした。ある日来たら葉っぱが真っ黄色。何往復もして、車いっぱいのペットボトルで水を運び、桜1本1本に手で水やりをして。13日目に緑色の芽を見つけた時は、ホッとしましたね。

−−活動する仲間も増えました。

最初は同級生たち数人で「天下一ひむか桜の会」として活動しました。その間、草刈りなどに協力してくれる人たちがいました。16年に作業を応援すると同時に彼岸花やコットンなど、新しいプロジェクトを始めようと、市民応援隊が結成されました。今は桜を植えた直後の風景とは全然違う。当時、こんな風景になるとは思いませんでした。

−−延岡花物語が3年ぶりに開催されます。

桜が咲いて大勢の人がやってくる。それを目指してずっとやってきたから、花が咲いても祭りがないのは残念でした。ただ去年は桜が咲くと大勢の人が来てくれました。やって良かったなと思いましたね。
提案者も、大阪から応援してくれた人も、同級生の多くが亡くなりました。だけどそういう連中がおってできている。だから、あいつらのためにもできる限り頑張らんと。
僕は祭りの時、毎回対岸から架設の橋を渡り、階段を上ってここの風景を見ます。花が咲いて大勢の人でごった返している風景を見ると、達成感があります。3年ぶりだから大勢の人が来て喜んでもらえるだろうと、楽しみにしています。

【写真説明】花の植栽活動を終えた仲間と談笑する松田さん(左端)。1月初めに自宅で骨折したため作業はできないが、毎日のように通っている=1月21日、コノハナロード=

【まつだ・しょうじ】
大分生まれ、延岡育ち。県外の企業を定年退職後、帰郷。2006年1月に亡くなった秋田佐知子さん(享年62歳)の遺作展をしたいと相談を受け、成功させた。08年2月、河津桜の名所づくりに着手。谷平興二さんらの協力で09年3月、同級生からの資金で購入した苗木135本をはじめ、3年をかけて約300本を植えた。地道な活動は評価され、天下一ひむか桜の会として17年1月に国交大臣表彰「手づくり郷土賞」グランプリ、18年5月に同「みどりの愛護功労者」を、22年8月にコノハナロード延岡市民応援隊として「美しい宮崎づくり大賞」受賞。自身は延岡市文化功労者(18年受賞)。同市夏田町在住。

その他の記事/過去の記事
page-top