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2023延岡花物語(10)−ふるさとに花咲かせた同期生の絆

本紙掲載日:2023-02-22
7面

〃桃源郷〃づくりの仲間、コノハナロードに集う

 「ごんちゃんに見せたかったけど」「庄ちゃんたちが頑張ってくれているから」。延岡花物語2023のメインイベント「このはなウォーク」が行われた18、19日、延岡市野地町のコノハナロードには、ふるさとを離れた地から名所づくりを支援してきた同期生たちの姿があった。

 訪れたのは「ごんちゃん」こと故・高倉雄三さんや、「庄ちゃん」こと松田庄司さん(80)=NPO法人コノハナロード延岡市民応援隊理事長=と同じ1942年生まれで延岡市内の学校を卒業した同期生たち。東京や埼玉、京都から5人が駆け付け、3年ぶりの再会と、花物語の開催を喜んだ。

 同所は「ふるさと延岡に恩返しがしたい。桜の名所をつくりたい」という、当時、神奈川県横浜市に住んでいた高倉さんの熱い思いが発端。2007年、延岡高校の同期生でシナリオライターの秋田佐知子(本名・幸子)さんの遺作展を行ったことで全国から同期生が集い、絆が生まれたのだという。高倉さんと松田さんも延岡高の同期生だが、意外にも交流が始まったのはこの時。卒業から40年近くたった65歳の時だった。

 08年2月、河津桜発祥の静岡県賀茂郡河津町の祭りに、同期生4人と訪れていた高倉さんから、松田さんの元に電話が掛かってきた。「素晴らしい。これは延岡でせんといかん」。美しい写真と共に思いを託された松田さんは「よし、やってみるか」と動きだした。

 今回帰郷した長井明子さん(80)、栗原由紀子さん(80)=ともに東京在住=は、15年前に高倉さんと河津町を訪れたメンバー。「菜の花の黄色と河津桜のピンクのコントラストがすごくかわいくて『これだ』って」と長井さん。栗原さんは「とんとん拍子だった」と振り返る。

 場所探しに苦労しながらも09年3月、約200人が参加して河津桜を植樹。関東や関西に住む同期生らは、苗木代を支援したり、帰郷しては同所に通って草刈り作業に汗を流したりした。「いつの日か、ふるさとに桃源郷を」の思いで、人と人とがつながり、その輪は大きくなっていった。

 名所づくりに思い入れがあった高倉さんと、現地で地道に整備を続ける松田さんは、熱い思いがあるからこそ何度も衝突した。電話越しに怒鳴り合ってけんかしたこともあれば、久々の再会にもかかわらず飲食店でテーブルをたたき合って大げんかしたこともあった。

 「そのぐらいのけんかができるくらい、意気投合していたのだと思う」と松田さん。関係が崩れることはなかった。長く闘病していた高倉さんは18年2月の延岡花物語の際、前日に退院して命がけで花見に来た。河津桜は寒さで開花してなかったが、赤いつぼみを食い入る様に見詰め、「庄ちゃん、やったね!」と何度も言ったという。天国に旅立ったのはそれから半年後だった。

 桃源郷を夢見て、関東や関西から応援してくれた仲間が1人、2人と減るたびに、松田さんは元気をなくした。それでも毎日のように活動をつづってメールを送る。延岡花物語には欠かさず、仲間が誘い合って来てくれる。

 「こうやってイベントがあって、集まれるのがうれしい」。京都から訪れた中島昭子さん(80)の言葉には、感謝の気持ちがあふれていた。「遠いところから自発的に集まってくれるのは励みだし、モチベーションになる」と松田さんは言う。

 「同じ世代だから、ごんちゃんは後のことを心配していた。それなのにこんなに立派になって」と栗原さん。高倉さんが心配していた「後のこと」については、「若い人が後を継いでくれたらいいが、エネルギーもいるし、なかなか大変なこと」と、松田さんは今、同じ悩みを抱えている。

 だが、「来年は帰って来られない人がいるかもしれないけど、僕が頑張っていればその次は帰ってくることができるでしょ。みんなが支えてくれているからこそ、やっぱり頑張らんといかん」。仲間たちの感謝と期待が支えになっている。
(おわり)

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