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LL サイズ
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1枚 500円 |
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1枚 1,200円
(ラミネート加工は300円追加) |
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元鋳物師の陶芸家黒木英勝さん延岡
◆プロの探究心と母親譲りの優しさ
「人を大事に、物を大事に」と笑顔を見せるのは元鋳物師で現在は陶芸に精を出す延岡市大武町の黒木英勝さん(78)。昨年8月に同市幸町の虎彦サロンで開かれた個展「実業芸の如(ごと)し」を取材した際、作品の美しさに心を奪われた記者(29)は鋳物と陶芸の魅力に迫るべく、黒木さんの自宅兼工房「英心窯」へと足を運んだ。
◇「鋳物師」黒木さんのルーツ
黒木さんは1943年3月、同市松山町で永田鋳物(現・昭和)を営む父伝治さんと母トヨさんの三男として生まれた。「生涯仕事」の言葉通り、幼少から同社の主要産業だった鍋釜をはじめとする鋳物製造の技術を身近に感じて育つ。
18歳半ばで大阪へ行き、本格的な鋳物修行を開始。以来全国を回り門扉、フェンス、家紋、板金の型板、彫刻などを作りながら腕を磨き、東京ディズニーランドや長崎ハウステンボスの装飾、延岡では愛宕山の錠掛けモニュメントや中央通の時計台といったさまざまな建造物に携わってきた。
取材当日、扉をたたくと、中から記者を呼ぶ優しげな声が聞こえてきた。あいさつを済ませ、促されるまま工房の中央に配置された応接スペースに座ると、目の前にコーヒーや菓子が次々に並んだ。
「職人」や「陶芸家」に対して勝手ながら持っていた、寡黙で堅いといったイメージとは全く逆の雄弁さや人当たりの良さに圧倒されていると、黒木さんは、奥の棚から4、5冊のファイルを引き出してきた。
そこには、黒木さんがこれまで手掛けてきた建造物の写真や考案段階の原画などがぎっしりとまとめられており、寸分のズレも許されない物作り職人らしいきちょうめんさを垣間見ることができた。
説明を聞きながら1ページずつめくっていくと、市内各地にある街路灯やモニュメントに加え、案内板やストリートファニチュア(街中に設置されたオブジェや機器)、親柱(橋などの両端や曲がり角に立つ太い柱)の彫刻など、どれも延岡に住んでいれば一度は見たことのあるものばかりだった。
「鋳物の魅力は世の中にない物を創造できること」と黒木さん。自らを〃何でも屋〃、昭和装飾金物(現・装研)の社長を務めていた頃は〃指揮者〃と称し、社員を育てながらどんな仕事も請け負ってきた経歴から「延岡の街は自分たちが造ったと言っても過言ではない」と笑顔で胸を張る。
そんな黒木さんには、人生の教訓となった忘れられない思い出がある。68年前、自宅にぼろぼろの身なりをした女性が小さな女の子と赤ん坊を連れてやってきた。その際、母トヨさんは「入りなさい」と事情も聞かずに招き入れ、風呂をたき、食べ物をおなかいっぱい食べさせた。7〜10日ほど家の手伝いをしてもらいながら寝床を与え、出て行く時には持ち切れないほどの食べ物と着物を持たせたという。
10年ほどたった頃、当時小さかった女の子が高級車に乗り、大金とたくさんのお礼の品を持って訪ねてきた。トヨさんは、お金は受け取らなかったが、品は「せっかくの気持ちだから」と、ありがたく受け取ったという。
それから黒木さんは、母を〃延岡のマザーテレサ〃と呼び「人を大事に、物を大事に」を信条として掲げるようになった。一線を退いた現在も、黒木さんを頼りにやってくる人は多いとのことで、母親譲りの人望の厚さをうかがい知ることができた。
◇陶芸との出会い
黒木さんが陶芸に興味を持ったのは50代の頃、仕事で東京のホテルを訪れた際、ロビーに並ぶ陶芸品を見たことがきっかけだった。
「数万円くらいか」と値踏みしながら眺めていた作品が、実際は数十万〜数百万円もすると知ったが「物作りをなりわいにする自分ならこれくらい作れる」と感じたそう。
退職したら始めようと考えていたが、60歳の時に同市柚木町にある共同窯「柚木陶房」でろくろ(円形の陶磁器を成形する時に用いる回転式の台)を回す3人の女性を見掛け「教えてくれませんか」とその場で申し込んだという。
基礎を教わりながら腕を磨き、66歳で仕事を退いてからは「自分なりの陶芸」に没頭。土を使った形作りはもちろん、鉄、銅といった50種類以上のゆう薬(陶磁器やほうろうの表面を覆っているガラス質の部分)の配合や焼き加減による色の変化などを楽しんでいる。
作品に刻まれた特徴的な砂紋は、自身が美しいと思った海岸に足を運び、写真に収めた砂浜の模様を試行錯誤しながら再現したオリジナルで、同じ物は二つと存在しない。
また、元鋳物師である黒木さんならではの作品として、金銀を焼き付けたきらびやかな陶器がある。これは、父伝治さんが残した「金の粉、銀の粉、銅の粉を合わせて。揮発する油と揮発しない油を混合して」という殴り書きのメモから着想を得たという。
「プロは、考えて作らないといけない」。身近な物やできないのが当たり前と思われていることから新たな発想を生み出そうとする黒木さんの探究心は尽きない。
◇ろくろを体験…
取材をしながら実際にろくろを回してみたくなった記者は、思い切って体験を申し出ることにした。急な申し出にもかかわらず二つ返事で快諾していただき、早速作業に取り掛かった。成形までの工程は初心者には難しいとのことで、黒木さんの作業を見学。
まず、大きな粘土状の土を練る作業から始まった。焼いた時に中の空気が膨張して作品が割れることを防ぐために空気を抜く作業で、練っている時に土が菊のような形になることから「菊練り」と呼ばれている。全身を使い息を切らしながら練り上げる様子に、相当な体力が必要なことが伝わってきた。
次は、練った土をろくろに乗せ、足元のレバーを踏んで回しながら両手を上下になぞり山のような形に整える「土殺し」という工程に移った。土の質を均一にして、ろくろをひきやすくするために欠かせない作業だという。
土殺しが終わるといよいよ成形に入る。「土取り」という作業で成形に必要な分量の玉を取り、その玉の中央に親指を押し込みながら徐々におわん形へと引き伸ばしていくのだが、これがなかなか難しい。
足元のレバーで適切な回転を維持しながら成形しなければならず、手元の集中がおろそかになると途端にゆがみを見せ始める。結局、こつをつかむことができないまま初めての陶芸体験を終えることになった。
記者が成形したいびつな土の塊とも呼ぶべき物体は、黒木さんによって手直しが施され何とか形になった。これから数日かけて自然乾燥させ焼き上げるという。個人的には「自分で作った」と言うこともはばかられるほどの体たらくだったのだが「これはあんたが作ったおわんよ」という黒木さんの人柄がにじむ言葉に温かい気持ちになった体験だった。