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原爆の恐怖伝える

本紙掲載日:2022-07-04
7面

丸田さん(長崎)が被爆体験講話−平岩小中

 日向市立平岩小中学校(向江修一校長)で6月21日、7〜9年生77人を対象にした「被爆体験講話」があった。旧制・県立瓊浦(けいほ)中学校1年生だった13歳の時に、爆心地から約1・3キロの自宅で被爆した長崎市在住の丸田和男さん(90)=長崎平和推進協会継承部会員=が生徒らに戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさを伝えた。

 日向市は1985年に非核平和都市を宣言。2004年度からは長崎市内の被爆者を講師として招き、日向市内の中学生を対象に毎年講話を開催している。コロナ禍の影響で一昨年は中止になり、昨年はリモートで実施。今回3年ぶりに講師を招いて対面で行われた。

 丸田さんは77年前の8月9日、期末試験を終えて学校から帰宅。庭先で上半身裸になって汗を拭いていると、上空を通過する米軍のB29が突然急降下。次の瞬間には青白い光とともに砂嵐に襲われ、「自分は死んでいくんだ」と思い気を失ったという。

 その後、意識を取り戻すと倒壊した自宅のがれきの下敷きになっており、助けを求めたが誰一人助けに来ず、やっとの思いで自力で脱出。やけどや体の何十カ所にもガラスの破片が刺さるなど大けがを負っていたが何とか裏山に逃げたと回顧した。その後、母親が近所で即死していたことを聞いたが、「自身が重傷だったこともあるが、悲しいという人間本来の感情すらなくなっていた」と振り返った。

 丸田さんは、長崎市の北半分は壊滅的な打撃を受け、重傷者などは次々と亡くなっていったと話し、「私も放射能を帯びた死の雨を浴びたため体調不良などが続いた。親戚を頼り、何とか生き抜いてきた」と語った。

 その他、戦時中の生活、学徒動員、沖縄戦などを説明し、自身が通った学校、通学路などを原爆が落ちる前と、後の様子を写真で示し「同期の1年生300人のうち100人以上を原爆で失った」などと紹介した。

 丸田さんは「私は子や孫などに命のバトンをリレーすることができた。しかし、13歳で亡くなった人たちはできない。私は死んだ人の分まで生きて原爆のことを伝えようと活動している」と明かし、「ウクライナの戦争では、罪のない多くの命が失われている。核の威嚇が公然と行われ脅威は現実のものとなっている。長崎の被爆者は声を大にして改めて訴える。長崎を最後の被爆地に」と自身が作ったメッセージを披露して締めくくった。

 生徒を代表して9年生の徳重榎凛さん(14)は「丸田さんの体験談を心に留めて、これからも戦争が起きないよう後世に伝えていきたい」と謝辞を述べた。

 丸田さんの講話は同日、美々津中学校でも行われた。

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