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「黒木國雄 延岡に生まれ、沖縄に死す」

本紙掲載日:2023-09-14
1面

第20回平和祈念資料展−延岡市立図書館で今月30日から

 第20回平和祈念資料展は、30日から10月22日まで延岡市立図書館で開催します。大きな節目となる20回展では、2004年の第1回展で紹介し、大きな反響を呼んだ延岡市出身の特攻隊長・黒木國雄さんとその父肇さんの再会と別れを見詰めながら戦争の時代をとらえます。タイトルは「『母チャンは泣きはせんかったね?』〜黒木國雄延岡に生まれ、沖縄に死す」。夕刊デイリー新聞創刊60周年記念。

◆「母チャンは、泣きはせんかったね?」

 黒木國雄は大正13(1924)年、延岡市生まれ。幼少期から軍人に憧れ、旧制延岡中学校で猛勉強を重ね、陸軍士官学校に合格した。

 國雄が生まれ育った時代は、昭和初めの不景気を政治の混乱を理由として、軍部が次第に勢いを増していた。黒木家も不景気のあおりを受け、生活は楽ではなかった。長男の國雄は、いささかでも家族に負担を掛けない軍学校を目指したのであろう。

 しかし、3年間の士官学校を終えると、戦争は悪化の局面に達していた。満州の戦車隊から直ちに航空隊に転属され、特別攻撃隊の指揮官に任命された。

 國雄の部下11人は全員、学徒出陣で徴兵された年長者で、学識も人生体験も豊富で、隊長の國雄はそのような部下たちに信頼を置いていた。

 昭和20(1945)年5月11日、延岡から駆け付けた父親・肇の見送りのもと、國雄は鹿児島知覧基地から出撃した。(軍事史研究家古舘豊氏)

 展示会では、國雄が生まれ育った時代背景を年表、写真などで、また当時の延岡市内の地域的な特徴を証言などで紹介。

 戦局の推移は、陸軍報道カメラマン小柳次一の作品で見ていくとともに、出撃する國雄と、見送る父親の後ろ姿を撮影した小柳自身の述懐を紹介する。

 昭和20年6月29日の延岡大空襲で、黒木家も被災し疎開を余儀なくされる。空襲関係資料も展示。

 終戦そして戦後の延岡市内の変容を写真、地図、証言などで紹介する。

□主催/延岡市教育委員会・夕刊デイリー新聞社
□後援/宮崎県宮崎県遺族連合会
□協賛/デイリー健康福祉事業団
□協力/FMのべおかケーブル・メディアワイワイ

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