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壁画よみがえる−旧美々地小

本紙掲載日:2023-10-06
1面

河野宗平さん中心に復元

◆約30年前、子どもと先生たちの共作

 少子化が進む地域を活気づけようと、延岡市北方町の旧美々地小学校で、約30年前に当時の児童16人と教職員が描いた壁画が復元された。作業は9月29日から今月1日まで行われ、時間の経過で色が落ち、黒ずんでいた壁は色鮮やかに生まれ変わった。地域の人たちは「想像以上の出来。明るくなった」と喜んでいる。

◇素晴らしさを歌や絵で

 美々地小は、かつて槇峰鉱山で栄えた地域にあり、1950年代には最大で788人の児童が通ったという。その後、鉱山が縮小され、67年には閉山して児童数が減少。2014年3月、市の学校再編計画で114年の歴史に幕を閉じた。

 壁画は1994年、前年に赴任した河野宗平さん(66)=都城市在住=が、児童のアイデアを元にデザイン。児童と教職員が協力して描き上げた。

 河野さんは当時について、「素晴らしい自然があり、槇峰の歴史や神楽の文化がとても新鮮だった」と振り返る。

 「美々地の素晴らしさを何か表現したい」と、同僚の教員らと地域の人を訪ね、槇峰鉱山で歌い継がれた「石刀節」「水引き唄(うた)」を教わり、児童と再現して発表するなどしたという。

 壁画もその一環。正門横にある長さ23・5メートル、高さ75センチ〜3・7メートルのブロック擁壁に、自然豊かな美々地の四季折々、神楽、鉱山で働く人々の姿などを、授業時間に約2カ月かけて描いた。

◇色が落ち、そして閉校

 しかし時間の経過で色が落ちた。そして学校は閉校。地域から子どもの姿は消え、響き渡っていた子どもの元気なあいさつの声も聞こえなくなり、「寂しい」との声が上がっていたという。

 3年間の勤務という短期間でありながら、地域住民と濃い時間を過ごした河野さん。現在、都城市美展で大賞を受賞するなど画家としても活躍している。個展の際には、当時の保護者だった山岡聖一さん(66)、貴美代さん(62)夫妻=美々地=が駆け付けるなど、交流を続けていた。

 復元作業は、現状を聞いた河野さんが「優しく協力的だった地域の人たちにいつか恩返しをしたいと思っていた。非常に喜んでくれたあの時のように、明るい絵で活気づけたい」と計画した。

◇壁画で魅力再発見

 思いを知った山岡さんは喜び、高圧洗浄機で擁壁を洗浄し、地域住民に参加を呼び掛けるなど準備。「宗平先生が来ている」といううわさは、あっという間に広がり、3日間に30〜40代になった当時の在校生やその子、保護者や地域住民らが代わる代わる駆け付け、加勢するなど、総勢約20人が関わった。

 「当時よりさらにバージョンアップできた」と河野さんも大満足の出来になり、「懐かしんで通ってもらったり、里帰りしてもらったりするきっかけになれば。美々地の素晴らしさを壁画を通して再確認していただければうれしい」と期待。

 鉱山閉山後、北方町から全国各地に移り住んだといい、山岡さんは「みんなが『ちょっと帰ってみようか』という思いになってくれれば」と、地区のシンボル的な存在になることを望んでいた。

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