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日豊線開業100周年の節目祝う

本紙掲載日:2023-12-19
8面

記念ツアー列車出発式−JR延岡駅

◆次の100年へ、出発進行

 「日豊本線(日豊線)開業100周年記念出発式」が16日、延岡市のJR延岡駅で開かれ、大勢の鉄道ファンらが見守る中、記念ツアー列車の出迎えやくす玉開き、一日駅長による出発合図などでにぎやかに節目を祝った。

◇一日駅長−林田さん(日向)大役果たす−人気車両に多くの鉄道ファン

 出発式は駅ホームを会場にして行われ、JR九州宮崎支社の中嶋敬介支社長は、1923(大正12)年の12月15日に延岡市北川町の日向長井駅と大分県佐伯市宇目の重岡駅が開通したことで開業した日豊線の歴史を紹介。「基幹路線として、地域の皆さまのご発展に寄与すべく、しっかり運営していきたい」と力を込めた。

 延岡商工会議所の吉玉典生会頭、延岡観光協会の盛武一則代表理事らとともに来賓出席した読谷山洋司市長は、市を挙げて脱炭素に向けた公共交通の利用促進や、東九州新幹線の整備実現への機運醸成に力を入れていることをPR。「向こう100年、もっともっと素晴らしい鉄道の時代にしていきましょう」と呼び掛けた。

 また、旭化成延岡支社購買物流部の河合裕司部長は、日豊線が開業した年に旭化成(当時の日窒肥料株式会社)が合成アンモニアの製造を開始した延岡は、日向地区とともに最大の生産拠点であり、「鉄道がなければ今日の旭化成がなかったといっても過言ではない」と感謝。「これからの100年を再び、日豊本線とともに歩んでいきたい」と決意を語った。

 この後、一日駅長の林田爽佑さん(日向市立日知屋東小5年)が菊池建次延岡駅長から制服と制帽を着けてもらい、出席者とともに大分方面から到着するツアー列車を歓迎。ホームでは一般来場者も配布された小旗を振って迎え入れた。

 同列車は「885系」という人気車両。口蹄(こうてい)疫で打撃を受けた本県を応援するため2010年9月に8日間、博多―宮崎空港間を運行して以来、13年ぶりの宮崎入りとなり、鉄道ファンも多く詰め掛けた。

 停車すると、記念ツアーに参加していた人気の鉄道系ユーチューバーの「西園寺」さんも式典に加わり、出席者と一緒にくす玉を開いてお祝い。

 出発の時間になると、一日駅長の林田さんと弟の恵采(けいと)ちゃん(5)=日向保育園=、菊池駅長が出発合図でそろって手を挙げ、ホームの人たちも手を振って見送った。

 林田さんは改札業務も体験し、「緊張したけど楽しかった。この前は遠足で延岡駅まで電車に乗ったし、これからも乗りたい」と笑顔で話した。

 日豊線は、小倉―宮崎―鹿児島の東九州を縦断する延長462・6キロの九州で一番長い鉄道路線。1895(明治28)年に小倉―行事(現在の行橋)が開通し、1923年までに小倉―吉松が日豊線として全通した。

 その後の32(昭和7)年に都城−隼人が開通したことで、小倉−都城−鹿児島が日豊線となり、都城−吉松は吉都線と改称された。

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