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巨典の−故郷は遠きにありて思うもの(36)

本紙掲載日:2024-08-19
8面

挫折からの逆転トライ−商社専務取締役・中尾政彦さん(延岡市出身)

◆大けがで諦めた夢、それでも…−人生の転機自らの性格強みに

 「スポーツは人生の縮図」という言葉があります。人生で味わう喜びや悲しみ、悔しさなどを、スポーツを通して体験したこともあるでしょうし、スポーツを通じてたくさんのスキルを身に付けることができた、という方もいらっしゃるでしょう。

 今回は、競技からの挫折で人生の設計図を見事に描き直した、元ラガーマンが主人公です。

 福岡市に本社を構える、文具・紙・事務機の総合商社「レイメイ藤井」の専務取締役中尾政彦さんは、延岡東高校(現在の延岡星雲高校)のラグビー部1期生です。

 子どもの頃から運動が得意で、日本体育大学を卒業して体育教師になる夢を持っていました。しかし、センター(CTB)として活躍していた中尾さんをアクシデントが襲います。

 試合中に腰を大けがし、2回の手術の末にラグビーを諦めざるを得なくなったのです。当時、高校2年生。あまりにも残酷な出来事でした。

 中尾さんは「一生を棒に振ったな」と感じたのと同時に、仲間へのうらやましさと嫉妬で、どうしようもなかった自分に病院のベッドで何度も号泣したそうです。

 人生の大きな転機を迎えざるを得なくなった中尾さんは、今後の方向性を模索します。「これからはコンピューターの時代になるかもしれない」と。後に考えると、これは天からの啓示だったのかもしれません。

 進路を、福岡のKCS(九州電子計算機専門学校)に方向転換します。一つのことに没頭できる性格が強みとなったのでしょうか、コンピューターの世界は自分に向いていると感じました。そして卒業から4社目で、レイメイ藤井延岡営業所に中途入社しました。

 仕事はコピーや印刷機などの修理で、当初は延岡市内や高千穂、北浦エリアを担当しました。ある小学校に印刷機の修理を依頼され、出掛けたところ、その印刷機の内部が何とネズミの巣になっていたこともあったそうです。修理のお礼にと校長先生が給食をごちそうしてくれたこともいい思い出の一つだそうです。

 その後、宮崎支店で営業職に配置されます。得意先の担当者になかなか会えずに、宮崎市から五ケ瀬町まで車で往復8時間かけて通い詰めたこともあったそうです。自分のためではなく、家族のために頑張ろうと仕事に励んだ結果、成績も役職も上がっていきました。

◆妻との別れも乗り越えて

 しかし、さらなる不幸が中尾さんを襲います。高校時代に腰を痛めて入院した際、中尾さんに手を差し伸べ、ずっと応援してくれた奥さまが、がんと診断されたのです。そのことを3人の子どもたちに伝えた時こそが、人生で最もつらかったと振り返ります。

 最愛の奥さまを亡くした後、男親として苦労しながらも子どもたちと向き合う一方で、営業マンとしてのスキルは磨き続けました。

 47歳の時には福岡本社勤務、そして49歳で取締役に就任します。新規事業を立ち上げることにも力を注ぎました。今年5月には専務取締役に昇任し、月のうち10日は全国を飛び回っています。

 多忙を極める中尾さんの楽しみは年に2回、延岡で高校時代の同級生たちとゴルフをして酒を酌み交わすこと。唯一の、青春時代に戻れる時間をとても大切にしているようです。

 青春の思い出は、亡き奥さまと出掛けた野口記念館(当時)での「ふきのとう」のコンサート。初めてのコンサートは実に印象深く、その思い出は色あせることなく、今でもフォークソングには心を癒やされているそうです。

◆大好きな延岡へ−「恩返しを」の思いも

 営業マンとして大切なことを尋ねた時に、こんな意外な言葉が返ってきました。「『NO!』と言える営業マンになること」。例えば、「無理な値下げの要求を聞くことよりも、担当者との信頼関係をしっかり構築して対等な関係で渡り合うことが、より多くのお互いの利益を生み出していくということ」のようです。

 そして中尾さんが、部下の皆さんに伝えていることの一つが「営業はチーム戦。だから、たくさんのブレーンをつくりなさい」ということ。「1人はみんなのために、みんなは1人のために」。ラグビーのチームワークを貴ぶ言葉が、会社組織にとってもとても大切なものとなりました。

 あと2年ほどで、65歳の定年を迎える中尾さんに今後のことを尋ねてみると、「実は、息子と会社を起こそうと思っているんですよ」と顔をほころばせながら答えてくれました。さらには、大好きな延岡に何らかの形で恩返しをしていきたいとのこと。

中尾さんのノーサイド(試合終了)は、まだまだ先のことのようです。これからもたくさんのトライ(得点)を、きっと重ねていくのでしょう。

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