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ひねくれ者が落語家に

本紙掲載日:2022-08-19
8面

前座修行中の27歳−桂伸ぴんさん(延岡出身)インタビュー

 前座として修行中の延岡市出身の落語家、桂伸ぴんさん(27)。今年1月には門川町で開かれた落語芸術協会主催の親子落語ワークショップに出演し、初めて地元・宮崎県で高座に上がった。「ひねくれ者だった」という少年が、なぜ落語家を志すようになったのか。帰省に合わせ、これまでの歩みを聞いた。


−−まずは、どのような幼少期だったのか気になります。

ひねくれ者を極めていましたね。目立ちたがり屋のくせに、表に出されたら何もしゃべれない。父や母から見たら、何をしたいのか、何をさせたらいいのか分からない。
たまにしゃべったと思って、やらせてみたらそっぽを向く。協調性は皆無です。そんな時期が中学生の頃まで続きました。
当然、友達はできず、先生にもそんな調子なので勉強も全くしませんでした。中学校ではサッカー部に入部しましたが、キャッチボールをしていましたね。
中学3年生になり「卒業後は、高校には行かず、アルバイトをする」と母に伝えたところ、悲しい顔をされました。社会の仕組みも、人生がまだまだ長いこともよく分かっていなかったのです。
そんなわけにはいかないと、急きょ塾に通うようになったのですが、成績が上がるはずもなく、聖心ウルスラ学園高校に拾っていただきました。
ずっと同世代の友達がいなかったので気付かなかったのですが、中学校を卒業する頃になってようやく「あれ、僕だけすごい後ろにいるな」と。4、5歳のままだった心が、少しずつ体に追い付いてきたのだと思います。

−−そんな少年が、何がきっかけで落語家を志すようになったのでしょうか。

もともと父が教育に厳しく、テレビのお笑い番組やバラエティー番組をあまり見ることなく育ちました。
高校1年生の時、サッカー部の先輩が文化祭で漫才を披露したのですが、それが僕にとっては斬新で、衝撃的でした。こういうものが存在するのかと。自分も目の前の人を楽しませたいと思うようになりました。
そこからインターネットの動画でプロの漫才を見て、ネタを全部ノートに書き起こし、ネタの仕組みを勉強しました。そしてオリジナルのネタを作るようになりました。
だけど、自分で舞台に立って表現したいとは思いませんでした。本当はしたいけれども無理だろうと。卒業後は「構成作家になりたい」とはっきり自分の中にありましたが、「なれるはずがない」という気持ちもあり。ひねくれ者は健在でした。
そこでひとまず高校卒業後、お笑いの文化を求めて福岡県を目指すことにしました。両親に「父さんと同じ建設関係に進みたい」と偽って。
福岡市にあった福岡建設専門学校に通いながら、ネタを書き、アマチュア芸人としてライブにも出演するようになりました。
1年たった頃、意を決して帰省して、父に「今、芸人やっています」と伝えました。勘当される覚悟でした。だけど、父は「25(歳)までだな」と言っただけでした。僕が自分からやりたいと言ったのは、これが初めてでした。だから「だめだ」とは言えなかったのでしょう。
専門学校をどうにか卒業し、アルバイト生活を続けながらネタを書き、アマチュア芸人としてライブに出演。そんな生活を23歳まで続けました。
その間、大手芸能プロダクションが運営する芸人養成機関に入校し、そこで相方を見つけてコンビを組みました。
一時、その大手芸能プロダクションの所属芸人として活動しましたが、そこは「ゴールはテレビに出ること。ライブはそのためのステップ」という世界でした。
僕は目の前の人を楽しませたいと思って、芸人を続けてきました。だから「ちょっと違う」「僕が目指しているのはそこじゃない」とズレに気付いたのです。
同時に、やっとスタート地点に立てたと思っていたのに、そこはスタート地点ではなかった。この数年間は何だったんだ。もう芸人はやめよう。そこまで落ち込んでしまいました。
そんな時、何気に見ていたインターネットの動画で落語を聞いて、久々に笑いました。
実は、専門学校生時代にインカレ生(他大学のメンバー)として九州大学落語研究会に加入していました。
加入後ほとんど活動していなかったのですが、あと1年、籍が残っていました。あと1年だったら頑張れると思い、復帰することにしました。もちろん全力で。それが、落語との出合いです。
その後、落語家になると決心し、コンビを組んでいた相方に相談したら「行ってこい」と背中を押してくれました。相方は、それまで何度も「お前は表現者であるべきだ」と励ましてくれていました。

−−そして、2018年9月に上京します。

泊まるあてもなく、リュック一つで上京し、友達の家を転々としながら寄席通いを始めました。昼も夜も寄席に通い、その中で引かれたのが師匠(桂伸治さん)でした。
とにかく伸び伸びと元気に、誰よりも楽しそうに高座に上がっていて、師匠が登場するだけで、ふわっと雰囲気が明るくなる、そんな落語家でした。
寄席から出てきたところに声を掛け、弟子入りを申し出ました。翌日改めて師匠の自宅にうかがい「いいよ」と返事をいただきました。
かつての弟子は、師匠の自宅に住み込み、身の回りの世話をしながら、けいこを付けてもらっていましたが、住宅事情の変化で、今や師匠たちもマンション暮らしが増え、「通い」の弟子が多くなっています。僕もそうです。
2019年4月に七番弟子として入門し、同年9月に前座として楽屋入り、寄席での修行が始まりました。
「伸ぴん」という芸名は、一門の落語会後の座談会で、お客さんの多数決で決まりました。他に「伸びて」「のびのび」「銀治(ぎんじ)」という候補があり、本当は「銀治」がかっこ良くて、良かったのですが。

−−落語という文化を今、どう感じていますか。

さまざまある伝統芸能の中でも、落語は他流派、他一門での出げいこが許されている、珍しい伝統芸能です。だから芸の幅が広がり、生き残っている。芸の寛容さを感じます。
それ以上に、うちの師匠は寛容です。普通は師匠の都合に合わせてけいこを付けてもらいますが、うちの師匠は頼んだら付けてくれます。さらに言うと、けいこを理由に一緒にお茶したいだけだと思います。
これだけ優しい人だったら、さぞ裏があるはずだと思っていたのですが、本当に裏表のない人で。有り難いことです。
ですから師匠の優しさに甘えていてはだめだと、着物の時以外、仕事中は基本スーツを着ています。師匠に恥をかかせないために、そして自分自身を律するためです。

−−最後に、今後について。

落語って理解できたら絶対に面白い。僕たち落語家が分かりやすく丁寧に伝えられたら、初めて聞く人にもきっと楽しんでもらえるはずです。
落語は決して敷居の高い伝統芸能ではありません。地元・宮崎県でも、もっと気軽に楽しんでもらいたいと思っています。
そのためにも、まずは僕のことを知ってもらい、まだ前座の身ではありますが、落語を披露させてもらえたらうれしいです。


【プロフィル】本名・渡辺渉。延岡市出身。岡富小、岡富中、聖心ウルスラ学園高を卒業後、福岡建設専門学校などを経て2019年4月、落語家・桂伸治に入門し、七番弟子となる。同年9月に前座として楽屋入り、寄席での修行を開始する。27歳。



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