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藤江監物親子に感謝

本紙掲載日:2022-09-14
1面
昌竜寺であった藤江監物、図書親子の292回目の法要

岩熊井堰、出北用水路開削

◆日之影昌竜寺で292回忌法要−延岡土地改良区

 旧延岡藩主牧野貞通に仕え、延岡市の岩熊井堰(いぜき)築造や出北用水路の開削に奔走した家老藤江監物と、長男図書(ずしょ)の292回忌に当たる法要が12日、日之影町七折の昌竜寺(霊元丈法住職)で営まれた。翌13日は、延岡市出北の出北観音堂で、同市の治水・利水発展に大きく貢献した8人の先賢の慰霊祭を執り行い、先賢の子孫や主催する延岡市土地改良区(原田博史理事長)の組合員らが遺徳をたたえた。

 昌竜寺には同改良区の組合員25人が参列した。参列者は近くにある藤江親子の墓所や境内の監物堂を参拝後、本堂へ。霊元圭昌副住職(43)の読経が響く中、丈法住職(78)と原田理事長(79)ら代表4人が焼香。続けて一人ずつ焼香台へ赴き、感謝した。

 法要後、霊元住職は「先賢の恩恵が現代まで続いていることはすごいことであり、292回目の法要を執り行うことができてうれしく思う」。原田理事長は高齢化に伴う法要の承継問題に触れ「地元の方だけでは墓所の維持活動などが難しくなってきているのが現状。偉大な功績を残した先賢に感謝を伝えるため、今後とも協力をお願いしたい」とあいさつした。

 20年以上訪れているという田中昇さん(72)=延岡市浜砂=は「300年近く前の人が現代まで続く土地改良を行ってくれたことに感謝の気持ち。早くコロナが収まり、盛大に弔える日が来ることを願う」と話した。


■藤江監物

1687年に生まれ、1712年、旧延岡藩主牧野成央の国替えに従い、父竹右衛門とともに延岡へ移った。15年に父が亡くなると家老に就任し、17年に延岡城へ入城した。
水に乏しく米の収穫が極めて少ない「ひばりの巣」と称された出喜多村(現・延岡市出北)の農民を哀れみ、厳しい藩財政から同村への水利に反対する派閥を説得。24年、郡奉行江尻喜多右衛門を責任者として井堰と用水路の工事に着手した。
人力のみの施工は順調に思えたが、災害のたびに築造中の堰が流され、けが人や病人の続出も相まって次第に難航。31年、監物を快く思わない家老に軍用金流用の罪を着せられ、長男図書、次男多治見、三男川崎右膳と七折村(現・日之影町七折)舟の尾に投獄された。
病弱だった図書は約半年で亡くなり、悲しんだ監物も自ら食を絶ち、図書の死から1カ月後に獄死した。2人の死から3年後、監物の遺志を継ぐ江尻により、10年の歳月と多額の費用を投資した岩熊井堰と12キロにおよぶ出北用水路は完成した。
これにより、旧延岡藩は600石余りの増収をみることとなり、監物の無罪が判明した。多治見と右膳は土地を与えられ出獄。監物は1924年、江尻とともに従五位を授けられ、今なお多くの人に敬われている。

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