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追悼−本田誠人さん

本紙掲載日:2021-05-03
8面

自分も、人にも笑顔絶やさず

 47歳の誕生日を迎えた1月30日、家族に見守られながら天国という新たな舞台に上がった本田誠人(まこと)さん。高校時代にお笑い選手権で優勝し、卒業後は俳優、演出家、脚本家として県内外で活躍。宮崎のエンターテインメントの盛り上げにも人一倍力を注ぎ、多くの人に影響を与えた。夕刊デイリーに掲載された記事から本田さんの功績を振り返るとともに、関わりのあった県北の人たちにコメントを寄せてもらった。

★Say―You時代

 「そもそも僕はクラスによくいる目立ちたがり屋。人に笑ってもらうことが幸せというわけじゃなくて、受けて女子にもてたいとか、そんなところからスタートしてるんですよ」と振り返っていた少年期。延岡西高校に進学すると、中学校で同じ野球部だった中尾諭介さんとお笑いコンビ「Say―You」を結成した。

 昼休みになると各教室に押しかけて〃巡回ライブ〃を繰り返し、地元の祭りではゲリラ的な路上ライブで盛り上げた。極めつけは高校2年の時。ダウンタウンの全九州お笑い選手権に宮崎県代表として出場し、見事グランプリを獲得した。「教室の隅でふざけてやったコントのまねごとみたいなのが受けたんで、『これはいける』って、本格的にネタを考えて練習してました」

★「ペテカン」結成、脚本家デビュー

 卒業後はお笑いの道ではなく、演劇へ。上京し、専門学校に入った。「笑いだけじゃなくて違う形での表現がしたかった。漫才に悲しみはいらないし、そこで人間模様をドラマチックに描く必要はないじゃないですか。演劇の場合は、笑いを生んでいる会話の奥に、その人のバックボーンがあることを描けると、笑いも厚みが増すんです」

 専門学校卒業後、同期メンバー5人で劇団「ペテカン」を立ち上げた。「みんな、やりたい芝居や入りたい劇団がなくて『じゃあ自分たちで面白いもの作ろうぜ』ってなったんです。価値観を共有できる仲間と出会ったことが一番の収穫です」

 劇団メンバーの中に台本を書ける人がおらず、「本田に書いてほしい」と言われて脚本家デビューした。「お笑いのネタは長いもので10分ぐらい。芝居は1時間30分ぐらいの台本を書かなければいけないんですが、これが面白かった。一から全部作っていく作業が楽しかった」。以来、劇団作品の脚本と演出を担った。

 第1作は「夏の踏台」。大学の将棋サークルの男5人を描いた作品で、若者の日常とやるせない現実と悩みを描いた「自分たちの原点」という。劇団結成から4年後に挑んだ「第12回小劇場フェスティバル99」(多摩市文化財団主催)で上演し、最優秀賞を獲得。飛躍への足掛かりとなった。受賞後の取材に「たくさんの人にボクの世界、ペテカンの空気に触れてほしい。いつか延岡での公演をやってみたい」。

★広がる活動

 その願いがかなったのが2004年。劇団旗揚げ10周年記念で初の延岡公演「夏の踏台04」を野口記念館で成功させる。翌05年にはテレビドラマ「電車男」に出演。ラジオのレギュラー番組やCM出演、他劇団での客演など精力的に活動の幅を広げていった。

 宮崎県内での活動も徐々に増え始めた09年、延岡を舞台にした「蛍の頃」の延岡公演が決定。本田さんが演出し、地元の役者たちが出演した舞台は翌年2月に上演され、追加公演を含めた計4回で約1200人を動員した。

 「延岡公演を終えて」と題した寄稿で「私は今回、県北の演劇という文化に『蛍の頃』という種を蒔(ま)きました。その種からは確実に芽が出ました。今後、その芽はどのように伸びるのか?枯れてしまうのか?花は咲くのか?私にとっても大きな楽しみです」とつづっている。

 同じ年の8月には妻の泉さんとユニット「あんてな」を立ち上げた。県内の役者が劇団の枠を越えてつくり上げるステージやイベントは徐々に人気が高まり、学校公演や子ども向けイベント、ワークショップなどへと広がっていった。

★がんと闘い、それでも進化

 17年4月にがんと診断され手術。治療を続けながらも歩みを止めなかった。「今は2人に1人ががんになる時代です。同じ病気と闘っている方々やその家族の皆さんに少しでも笑顔になってもらえる存在になれたらと、おこがましいですが、そう思っています。精いっぱいのエネルギーを、笑顔を、元気をお届けしたいと思います」。自分自身の笑顔も、笑顔を届けることも絶やさなかった。

 19年は中尾さんとの「Say―You」復活ライブが実現。コロナ禍となった20年は市民もエンターテインメントから離れて笑いが減っているのではと感じ、「難しいことを考えずに心から笑ってもらいたい」と企画した「本田笑劇場」が大盛況。文字通り笑いの絶えないステージとなった。

 今年1月9日、脚本を務めたラジオドラマ「これは私の落とし噺(ばなし)」がNHKFMで全国放送された。その21日後の朝、自宅で家族に見守られながら天国へ旅立った。

★遺志を引き継ぎ、いざや、みやざき宵まつり

 今夏宮崎で開幕する国内最大級の文化の祭典「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」。本田さんは柱の一つとなる総合プログラム「いざや、みやざき宵まつり」(9月25日、宮崎市)で総合演出などを担当するはずだった。本田さんの思いが引き継がれたステージが幕を開ける。


◆7〜8月、本田さん追悼公演−ナンチェッコイ「たかえ先生への手紙」

 南野陽子さんら女優3人で結成したグループ「ナンチェッコイ」が第1弾公演として、また、「ペテカン本田誠人追悼公演」として、本田さん作の朗読劇「たかえ先生への手紙」を上演する。7月27日から8月1日まで、東京都の下北沢「劇」小劇場で。

 ナンチェッコイのメンバーは南野さん、連続テレビ小説「オードリー」に出演した山口智恵さん、俳優・声優として活躍する小飯塚貴世江さん。4月に結成した。

 同公演では、ペテカンで本田さんの〃女房役〃だった濱田龍司さんが演出を担い、ペテカンからも大治幸雄さんと長峰みのりさんが出演する。

 「たかえ先生への手紙」は、元高校教師たかえおばあちゃんと郵便配達の圭太郎、お手伝いの朝子の3人を中心とした物語。教え子たちからの手紙を読むことが楽しみのたかえおばあちゃんだったが、目が不自由になり、生きがいをなくしてしまった。「手紙だけ読んでくれればいいの」と雇われた朝子には、実は重い過去があり、手紙を届けに来る圭太郎にも、ひそかな狙いがあった−。12年に東京、延岡、新富の3会場で上演され、好評を博した。


◆誠人、これからも一緒に進化しよう−中尾諭介さん

 誠人は超人だと思っていたので、医師が何と言おうと、それを覆す力を持っていると最後まで信じていました。ですが、僕が思っていた以上の超人的な力を、それ以前に僕の知らないところで何度も発揮して、大変な時を乗り越えていたんですよね。大変な病気に、奥さんやご両親と、みんなで立ち向かっていたんだなと、改めて思います。

 亡くなる3日前にLINEで、「もう一度、(諭介と)『待ち合わせ』を演(や)りたいわ」というメッセージをもらいました。「オゥ、やろう、やろう」と返したんですけど、その時に誠人の覚悟みたいなものを感じたような気がします。

 泉ちゃん(本田さんの妻)のSNSを見たら、亡くなった日に「良い空気が流れていた」とあって、やっぱり誠人はすごいなぁと思いました。「つらくはなかったよ」という思いを残してくれた、そんな強い力や自分で決めたことをしっかりやり遂げるところは、高校時代から変わってなかった。

 一昨年、27年ぶりに2人のライブ「待ち合わせ〜ワロタモンガチ〜」を延岡総合文化センターでやりました。あの時のことがうれしくて、楽しくて…。

 高校時代は、コントや演技に関しては、誠人が師匠で僕が弟子みたいなところがあったんですが、あの時は誠人と対等にぶつかることができて、本当にうれしかった。誠人、本当に面白かったよね。

 亡くなる数日前にも演劇配信用の機材をそろえようと考えていたみたいで、いつまでも進化することを諦めなかったことが分かります。

 本田誠人という存在は僕の中にしっかり息づいています。今は、自分が進化することで僕の中にある誠人も一緒に進化していくと思っています。そして進化という意味では、僕はまだまだこんなもんじゃないと…。

 ギターも歌もさらに進化して、本田誠人という存在をこれからも輝かせたい。2人で見てきたすごい景色を伝えたい。本田誠人を知らない人が、僕を通してその存在を知ってくれるようになればと思っています。

◇編集部より

 中尾さんの本田さんへの思いは、中尾さんの公式ウェブサイト「センチメンタルのバカ野郎」にもつづられています。


◆これからも師匠と呼びます−鵜濱咲紀さん(延岡高校在学中に舞台「蛍の頃」に出演。卒業後に演劇の道へ)

 「蛍の頃」で師匠と出会った時、私はまだ延高の制服を着ていた。放課後、一秒でも早く稽古場に行きたくて、文化センターまで大瀬川沿いを自転車でかっ飛ばした。それぐらい師匠の芝居づくりは楽しくて楽しくて仕方がなかった。それから数年後、もう一度「蛍の頃」に呼んでもらえた時は、うれしくてうれしくてたまらなかった。

 ペテカン20周年九州ツアー、野口記念館での初日のこと、幕開けのスタンバイに入る私を舞台袖で師匠が呼び止めた。その時の、泣いているような、見たこともない師匠のしわくちゃ笑顔を私はきっと一生忘れない。

 「うれしいなぁ、帰って来たなぁ」

 ぎゅっと固く握手したあの手も絶対に忘れない。

 師匠との最後の会話はツイッターでのやり取り。「もうこうなったら仕方ねえーな。師匠って呼んで良し!(笑)」。あんなに嫌がってたのに。師匠、言いましたからね?私、スクショ(やり取りをそのまま記録)しましたからね?これからもずっと、あなたは私の大好きな師匠です。


◆宮崎の若者たちを見守って−時任真由美さん(本田さんが講師を務めた俳優・声優養成学校サラみやざきの代表)

 初めて本田誠人さんの作品に触れたのが2015年の「蛍の頃」。宮崎にこんな素晴らしい作品を作る方がいらっしゃることを知った!

 それまで宮崎で開催される舞台をあまり見たことのない私にとって、その衝撃は今までにないものだった。ぜひ、サラの生徒たちにご指導をいただきたい!そう思い、あらゆるルートを使いお願いしてみた。

 返事はOKだった。やった!月に一度のご指導がとても楽しみだった。私も、生徒たちも…。すぐに本田誠人さんの魅力に引き込まれていった。いろいろな舞台に関わらせていただき、ご一緒させていただくごとにますます引き込まれていく!

 本田さんの誰をも差別しない、誰に対しても変わらない、誰にでもチャンスを与えてくださる、そして、その子の魅力を最大限に引き出そうとする力・姿勢、宮崎の演劇界に、たくさんの力と勇気を与えてくださった。今後本田さんのような方が再び宮崎に現れるだろうか…。

 サラ1期生の男の子が沈んだ声で「時任さん、本田さんが亡くなった…」と、連絡してきて初めて知った訃報。特に本田さんの作品に関わってきた男の子、きっと悲しみをどこにぶつけていいか分からなかったはず…。私もどう返していいか分からず、しばらく沈黙。最後に、本田さんの遺志を受け継ぐのは、ご指導いただけたあなたたち若者!で終えた会話。

 たくさんの情報の中の本田さんの写真、すべて笑顔!彼はこれしか望んでいないはず…。笑顔で見送りたいと思う。どうか、そちらの世界から宮崎の若者たちを見守ってほしい!ご冥福をお祈りいたします。


◆観客の層を広げてくれた−濱崎けい子さん(本田さんの作品に多数出演。ペテカンシニア部の一員)

 2003年6月ごろ、「延岡出身の本田くんがやっているから」と聞いて、ペテカンのチケットを予約して見に行ったんですよ。

 それがまあ面白くて、すぐに本田くんに「絶対に延岡に呼ぶから。宮崎出身でこんなに面白いお芝居をつくっているのに、宮崎の人が見られないのが信じられない」って話しました。それで実現したのが04年の「夏の踏台04」。満席になった会場のお客さんが、子どもから大人まで笑っていて、とても良かった。

 その後ずっと交流を持っていて、「蛍の頃」や「たかえ先生への手紙」にもずっと出させてもらいました。

 彼のすごさは、言葉では言い尽くせない。優しいし、演出がすごい。役者の持っているものを引き出すように台本を書いていくのがうまい。

 本田くんは裾野を広げたんじゃないかな。演劇はマニアックな人が見るもの、というような敷居を感じていた人も、本田くんの芝居を見ると「面白かった」って。そういうお客さんの層を広げたんじゃないかな。

 「一人芝居を書いてね」ってずっと言い続けてきたけど、かないませんでした。若すぎますよ。生きててほしかった。


◆イラストでメッセージ−miyuさん(延岡市在住のイラストレーター。子どものアトリエ「なないろ教室」を主宰。誠人さん、泉さんと3人で子ども向けイベント「あそびば」を開催)

本ちゃんへ

 夢をみたよ。

 本ちゃんはステージに立っていて今からはじまるお芝居の準備だと言って手を上げたの。

「みゆちゃん、じゃあまたね!」

沢山(たくさん)の色が溢(あふ)れててワクワクするステージだった。

 その夢をイラストにしたよ。

 たくさんの楽しいをありがとう。
「本ちゃん、じゃあまたね!」

 miyu


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